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8-1.伯耆溝口駅→岸本→遠藤バス停
米子エリア この区間の地図
<7-3.二部上BS→二部宿→溝口宿→伯耆溝口駅 8-2.遠藤BS→車尾→米子駅>
伯耆溝口駅を過ぎてもしばらく街並みが続き、黒坂警察署溝口幹部派出所の手前には「右 大山道」と大書された道標があります。溝口は今も昔も大山への入口となっており、大山道の主要ルートの一つである「溝口道」の起点がここです。出雲街道はもちろん直進ですが、右折して少しだけ大山道の方に入ってみると、伯備線の踏切は大山踏切と名付けられており、踏切の東には大山道の道標がもう一つあります。そして、国道に復帰する溝口インター入口交差点で分岐する県道45号はその溝口道のルートを引き継ぎ、桝水高原を経て大山に至る道路です。出雲街道から大山に入るには岡山県では久世、鳥取県では溝口が主要な結節点となっていました。

4001.大山道の道標

4002.溝口インター入口交差点
溝口インター入口交差点からしばらくは国道を歩くことになります。旧街道は伯備線の線路あたりを通っていたそうですが、旧街道に該当する道で通り抜けはできません。なお、県道45号の高架橋をくぐった先からは旧道を歩けますが、割と最近まで国道だったと思われるような広い道路で、200mほどの間に特に史跡は見当たりません。この付近は大山の玄関口となる場所だけに、東には大山が大きく見えるようになってきています。

4003.大山が大きくなってきました

4004.少しだけ旧道を歩ける
溝口インター入口交差点から600mほどで大江川を渡って旧岸本町域に入りますが、橋の名前は「郡界橋」です。大江川はさほど大きな川ではなく、今は何の境界線にも見えませんが、同じ西伯郡伯耆町でも旧溝口町は日野郡、旧岸本町は西伯郡に属していました。橋はその名の通り、ここが日野郡と西伯郡の境界であったという歴史をしっかりと残してくれています。

4005.郡界橋で旧日野郡溝口町から

4006.旧西伯郡岸本町へ
●矢田貝家住宅
郡界橋を渡ると、西側に広大な敷地に立派な建物と庭園を持つ登録有形文化財の矢田貝家住宅があります。また、郡界橋を渡ってすぐに左折して日野川の堤防に出れば、裏から広い庭園の一部を見ることができます。

4007.矢田貝家住宅
>拡大画像 矢田貝家住宅の案内板
この付近から国道と伯備線が並んで一直線に北西へ伸びていますが、これは近代以降に国道や鉄道、そして圃場が整備された結果であり、旧街道の道筋は一直線ではありませんでした。なるべく旧街道の道筋に近い道を進むため、上細見交差点を右折、細見踏切を渡って国道と伯備線の東側に出ます。ここから先の道筋は上細見交差点および細見踏切のすぐ東にある一軒家の辺りから斜めに通っていたそうですが、圃場整備によって消失してしまっています。一里塚もこの付近にあったそうで、上細見から吉定地区をご案内くださった地元の方のお話によれば、「一里塚」という地名もあるそうです。

4008.上細見交差点を右折

4009.圃場整備で旧街道は消失
写真4009の圃場整備の記念碑がある交差点を左折し、水路沿いの道を進みます。丘陵と水路に沿って、ルートとしては出雲街道らしい形で進みますが、先述のようにこの道はかつての道筋とは少し異なっています。木戸口の集落に入ったところからは道路の幅員が狭くなっており、この交差点が新しく整備された道と古い道筋が活用された道の境だと想像できます。

4010.水路沿いの道は新しい道

4011.旧街道は狭いので徐行
●三軒茶屋
木戸口の集落を通り抜けると、三軒茶屋橋で清山川を渡って三軒茶屋の集落に入ります。木戸口及び三軒茶屋では新しい宅地もありますが、かつての三軒茶屋は文字通り家は3軒で、そして茶屋があったそうです。三軒茶屋橋からは近くの低い山の間から大山が美しく見え、茶屋で休憩するなら確かにここがベストポジションです。また、集落内も先述した昔の道筋が続いており、200mほどの間、旧街道らしい風情が残っています。

4012.三軒茶屋橋からは大山が見える

4013.左の空き地に茶屋があった

4014.わずかながらも良い雰囲気
地元の方にお見せいただいた圃場整備の図面によると、吉定地区の旧街道は三軒茶屋の集落を出てから伯備線の三軒茶屋踏切までの間、斜めに通っていたことがわかり、上細見地区と同じような状況になっています。しかし、現在は整然とした田園地帯となっているため、三軒茶屋の集落から道なりに進んで突き当たりを左折、次の交差点を右折、さらに次の交差点を左折という順で直角に曲がりながら進んでいくことになります。旧街道らしい雰囲気は失われていますが、三軒茶屋の集落を少し過ぎた写真4015の地点や写真4017の三軒茶屋踏切付近ではそれぞれ昔の道の痕跡らしきものが見られます。圃場整備で旧街道が消失した場所であっても、その痕跡を見つけ、かつての道筋を想像してみるというのはなかなか面白いものです。

4015.斜め左に旧街道の痕跡?

4016.現在の道は直角に交わる(ここは左)

4017.三軒茶屋踏切付近も同様に
三軒茶屋踏切を渡るとすぐに国道に出ますが、ここから国道は平成30年(2018年)に開通した岸本バイパスの伯耆大橋へ向けて日野川の堤防へ上がっていき、歩く道としては国道の側道で吉定公会堂の前に出ます。この側道は岸本バイパス開通前の国道の道筋であり、令和の出雲街道の東に、平成までの出雲街道、伯備線の線路脇に見た江戸時代の出雲街道と思われる道が並んで痕跡を残す形となっています。なお、吉定公会堂の脇には、東の山手にある久古地区を案内する寛政11年(1799年)の道標も置かれています。

4018.岸本バイパスの側道へ

4019.吉定公会堂前の道標
吉定公会堂の先でまた右折すると、そのすぐ先に文政4年(1819年)に建てられた常夜燈があり、「金毘羅大権現」そして「大山 大智明大権現」と刻まれています。そこを左折すれば、ほんの100mほどの間ですが旧街道の道筋が残っています。

4020.ここを右折

4021.常夜燈と旧街道
県道53号(旧国道181号)に出ると、日野川のすぐ近くまで丘陵が迫ってきてやや狭苦しい地形になります。この付近には松並木20本が昭和54年(1979年)まで残されていました。続く吉定交差点は大山道のうち「丸山道」のルートを引き継いでいる県道36号が分かれる交差点ですが、その手前には「大日如来」「馬頭観音」そして大きく「牛馬安全」と記された石塔があります。先述した道標や常夜燈に続いてこの牛馬安全供養塔と、この周辺は大山牛馬市への玄関口らしい史跡が続きます。

4022.ここに松並木が残されていた

4023.牛馬の道が接続する近くに
その吉定交差点付近からは県道53号の西に細い道があり、その道が旧街道の道筋です。すぐ先の別所川を渡る橋がなく行き止まりとなっていますが、現在でも玄関をその細道の方に向けた民家があります。別所川を渡った先でも状況は同じで、写真4025の地点から旧街道の細道に入ることができ、行き止まりにはなりますがやはり旧街道に玄関を向けた民家が見られます。

4024.県道の西に旧街道が残る

4025.別所川の北も同じ状況
岸本地区に入ると、写真4026の地点で斜め右に入り、舗装された道路ではなく、写真中央の民家の左側の細道を進みます。断定はできませんが、道の雰囲気からしてこの細道が旧街道と思われます。

4026.ここで斜め右へ

4027.この道が旧街道
写真4028の地点では道なりに左にカーブし、岸本郵便局のところに出てきます。なお、直進しても道はさらに細くなって道とは言えないような状態になりながらも岸本駅の近くまで一本でつながっています。この近辺は旧岸本町の中心地区と言えますが、岸本は旧街道の宿場ではないため、根雨や溝口のような宿場町型の市街は形成されておらず、旧街道と思われる道もはっきりとはしていません。現在でも状況は似ており、駅や役場があり、そこに近年までメインルートの国道だった道路が通っている場所だというのに、目立った商業施設等がなく、伯耆町役場、伯耆橋と変則的な形状の交差点が連続しており、旧街道の宿場町が現在の中心市街地となっている町との違いを感じます。

4028.正面にも道筋は見える

4029.岸本駅
岸本駅前からは旧街道の道筋がさらにわかりづらくなり、「歴史の道調査報告書」でも旧岸本町北部では3つのルートが「推定」として併記されています。当サイトでは近くて道順もわかりやすい西の遠藤地区経由のルートを選択することとし、岸本駅前から水路に沿って北上、写真4031の地点で左側の水路を渡り、引き続き水路沿いの道を進んでいきます。なお、旧街道の道筋もはっきりせず、特筆すべきほどの史跡も見当たらない場所ではありますが、吉長の集落は昔の雰囲気がよく残っているので、集落内の道を歩いてから左折しても良いでしょう。集落を抜け切った先の交差点には小さな石仏も見られます。

4030.両側が用水路

4031.水路左側の道へ

4032.右の集落に寄るのも良いかも

4033.道端に小さな石仏
●大山
吉長地区の集落を過ぎると、右側(東側)には中国地方の最高峰にして伯耆国のシンボルである大山がよく見えるようになります。伯耆町と米子市の境にあたるこの辺りが、出雲街道沿いを歩いていて大山が最もよく見える場所でしょう。大山は見る角度によって大きく姿を変える山ですが、北西から見れば富士山のような姿をした独立峰に見え、「伯耆富士」という呼び方が似合います。こうした大山の姿は写真愛好家達の人気を集めており、晴れた休日の山麓には撮影スポットにカメラマンの姿が目立ちます。

4034.吉長地区から見る大山

4035.季節感を出して撮ったり

4036.伯備線の列車を入れて撮ったり
県道53号を横断して引き続き田園地帯の中を進み、遠藤地区を目指します。遠藤地区に入れば、写真4039の交差点を右折します。なお、ここを直進すると集落を出た先に遠藤バス停があり、溝口から岸本まで並行してきた日ノ丸自動車の日野本線・溝口線とは別に、日本交通の水浜線のバスが利用できます。

4037.県道53号を横断

4038.遠藤地区へ

4039.直進はバス停、右折で進む
伯耆町(旧岸本町)の吉定地区近辺におきまして、吉定にお住まいの方に圃場整備等の資料をお見せいただいたり、近くのお年寄りのお話をお聞かせいただいたりしながらご案内いただきました。ありがとうございました。
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  • ●地名、人名等の読み方
    •  郡界橋=ぐんかいはし
    •  矢田貝家=やたがいけ
    •  上細見=かみほそみ
    •  木戸口=きどぐち
    •  三軒茶屋=さんげんちゃや
    •  清山川=せいやまがわ
    •  吉定=よしさだ
    •  久古=くご
          
  • ●関連ページ       
  • ●参考資料
    •  鳥取県文化財保存協会「鳥取県歴史の道調査報告書 第三集 日野往来」
    •  鳥取県文化財保存協会「鳥取県歴史の道調査報告書 第六集 出雲街道・法勝寺往来」
          
  • ●取材日
    •  2015.7.3/11.16
    •  2017.1.12/5.22
    •  2018.2.23/9.5
    •  2019.5.20/11.10
    •  2020.11.11
    •  2023.6.17/8.6
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