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9-4.揖屋駅→出雲郷宿→竹矢→矢田BS
安来・松江東部エリア この区間の地図
<9-3.荒島駅→下意東→揖屋駅 9-5.矢田BS→松江大橋→松江城>
揖屋駅の西側では旧道のすぐ南が旧街道のため、斜め左への道が分岐しています。農機具メーカーの敷地にぶつかってすぐに途切れますが、旧街道と旧国道との微細な違いが見られます。旧東出雲町はこの農機具メーカーの企業城下町で、その敷地内には旧東出雲町出身でコンバインの原型となる「回転式稲扱機械」を発明したという佐藤忠次郎の記念館もあります。この工場が旧街道の一部を消失させてはいますが、これだけの大きな企業が旧国道沿いに立地しているおかげで、現在の国道が駅の裏をバイパスしているにも関わらず新旧の揖屋の街が両立していると考えることもできます。

4601.旧街道は左

4602.佐藤忠次郎記念館
>拡大画像 佐藤忠次郎記念館の案内板
そのすぐ先にある大内神社は、戦国時代に尼子氏の月山富田城を攻め、敗走の途中にこの地で死亡した大内晴持を祀る神社で、地元大名の宿敵の当主(大内義隆)の嫡男を祀るだけあって、小さな社がひっそりと佇んでいます。一方、その裏手にはわずかの区間とは言え、旧街道の細道が残されています。旧国道に戻っても、沿道に古い建物が多い状況がしばらく続きます。

4603.大内神社

4604.大内神社裏の旧街道

4605.旧国道に街並みが続く

4606.揖屋踏切を渡る
>拡大画像 大内神社の案内板
揖屋地区を出ても家並みはあまり途切れず、出雲郷地区まで都市郊外の風景が続きます。ただ、県道153号を横断するあたりまでは古い家屋は見当たらず、市街地の拡大により両地区の家並みが連続するようになったことを感じさせます。

4607.県道153号を横断

4608.出雲郷の薬師堂
●出雲郷宿
揖屋からなおも続く旧国道を西へ進み続けると、姫路と松江の間にある最後の宿場町である出雲郷に至ります。宿場町としての風情はこれまで多くの宿場町を見てきた身には物足りなく感じるくらいの状態でしか残っておらず、昭和57年(1982年)の新設道標が歴史を語っている程度ですが、ここでは阿太加夜神社と意宇川が歴史的な名所となります。普通に読めば絶対に読めない難読地名ももちろんこの阿太加夜神社にちなんだものです。

4609.出雲郷宿と阿太加夜神社鳥居

4610.新設の道標
●阿太加夜神社
出雲郷宿にある鳥居から斜め左の参道に入り、国道を横断すれば、意宇川の畔に阿太加夜神社があります。「出雲国風土記」にも記載された由緒ある神社というだけでなく、何と言っても10年に一度しか開催されない日本三大船神事の一つ、「ホーランエンヤ」で有名な神社で、境内には船神事に使われる舟も置かれています。

4611.阿太加夜神社

4612.印象的なご神木に

4613.ホーランエンヤの舟も
>拡大画像 阿太加夜神社の案内板
阿太加夜神社と意宇川の間は面足山万葉公園となっており、奈良時代に大和から出雲守として派遣された門部王の歌碑があります。それにちなんで、公園に植えられている植物にもそれにちなんだ和歌が添えられています。また、ここには国引きの碑もあり、かつて「意宇郡」と呼ばれていた意宇川流域の地名が国引き神話で知られる八束水臣津命に由来するという伝承も紹介されています。

4614.門部王の歌碑

4615.国引きの碑
出雲郷橋で意宇川を渡ると出雲郷宿が終わり、同時に合併前からの松江市域に入ります。200mほど先に墓地がありますが、ここは亀井塚と呼ばれ、亀井能登守という侍が神事の際に通行禁止となっていた揖屋から出雲郷の間を馬に乗ったまま通行し、神罰を受けて急死したという伝承の残る地です。そのすぐ先には大門の一里塚があったそうですが、神子谷の一里塚と同様、今は何も残されていません。

4616.意宇川を渡る

4617.亀井塚

4618.大門の一里塚跡はこの辺り
長く続いた旧道は大門交差点で終わりますが、旧街道の道筋としてはその直前で右折し、またすぐに左折する形で、国道の一本東の道を北上していくことになります。道沿いに特筆するほどの史跡は見当たりませんが、安国寺道標が立つ交差点を右折すれば奈良時代からの歴史を持ち、京極高次の供養塔もある安国寺があります。

4619.ここを右折してすぐ左折

4620.安国寺の道標
旧街道の道筋はさらにまっすぐ北へ進み続けますが、4621の写真の交差点を左折すれば平濱八幡宮があり、隣接して日本最古の大臣とされる武内宿禰が祀られている武内神社もあります。さらに西へ広がる意宇平野には出雲国府跡や出雲国分寺跡などの古代の史跡群が集中していますので、そちらへ寄道してみるのも面白いでしょう。

4621.直進ですが左折も面白い

4622.平濱八幡宮

4623.西には古代の史跡群
>拡大画像 平濱八幡宮・武内神社の案内板
>拡大画像 出雲国分寺跡周辺の史跡地図
的場池という池の東側を回り込むように進んでいくと、4625の写真の地点からはかなり細い道になって国道に戻ります。この辺りは意宇川の流域から大橋川沿いに移るための小さな丘越えで、国道にも緩やかなカーブが続きますが、旧街道はそれ以上に曲がりくねっていたようで、4627の写真の地点にある階段を西に下ります。

4624.的場池の東を行く

4625.正面の細道へ

4626.国道に戻って小さな丘越え

4627.ここで左
突き当たりを右折して国土交通省の島根運輸支局の裏に回り、4629の写真の交差点ではまた左折となりますが、その先で山陰本線の線路に出たときに踏切がないので、ここは直進で国道に出て、歩道橋で山陰本線の線路を渡ることにします。この歩道橋からの眺めが意外と良く、すぐ先の大橋川だけでなく、東には中海大橋と中海が見えます。

4628.島根運輸支局の裏を抜ける

4629.旧街道は左ですが直進

4630.この歩道橋を渡る
歩道橋を渡ったところで塩楯島という小島に祀られた手間天神社を見ると、そこから先は宍道湖と中海を結び、水都松江の象徴とも言える大橋川に沿って西進していきます。地形は狭苦しさを感じますが、川の流れは太く、小舟だけでなく時には大型船も航行しているのが特色です。旧街道の道筋は山陰本線と国道によって消失していますが、それでも井奥地蔵尊の地蔵堂などが見られます。

4631.大橋川に浮かぶ手間天神社

4632.大橋川に沿う

4633.井奥地蔵尊
<9-3.荒島駅→下意東→揖屋駅 9-5.矢田BS→松江大橋→松江城>
  • ●地名、人名等の読み方
    •  出雲郷=あだかえ
    •  佐藤忠次郎=さとうちゅうじろう
    •  大内晴持=おおうちはるもち
    •  大内義隆=おおうちよしたか
    •  阿太加夜神社=あだかやじんじゃ
    •  門部王=かどべのおおきみ
    •  八束水臣津命=やつかみずおみつのみこと
    •  亀井能登守=かめいのとのかみ
    •  京極高次=きょうごくたかつぐ
    •  武内宿禰=たけうちのすくね
    •  塩楯島=しおたてじま
    •  手間天神社=てまてんじんじゃ
          
  • ●関連ページ       
  • ●参考資料
    •  樹林舎「定本 島根県の歴史街道」
          
  • ●取材日
    •  2015.7.29
    •  2016.7.15
    •  2019.2.27
    •  2021.6.29
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