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10-1.竪町BS→乃木→玉造温泉駅 |
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●松江西部エリア この区間の地図 |
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<9-5.矢田BS→松江大橋→松江城 |
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10-2.玉造温泉駅→来待駅> |
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松江城から国道の竪町交差点に戻り、出雲大社を目指して山陰道でさらに旅を続けます。なお、松江まで山陰道で来たため、続きを歩く形にしていますが、松江から大社までは松江杵築往還という宍道湖北岸を辿る古道もあり、出雲大社までの距離はそちらの方が近くなります。
その前に松江城と並ぶ松江の名所、宍道湖の嫁ヶ島に行ってみましょう。竪町交差点から300mほど西にある袖師交差点で国道は宍道湖にぶつかります。その側には島根県立美術館があり、湖岸は白潟公園、岸公園という公園になっています。 |
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4801.島根県立美術館 |
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4802.湖畔の岸公園 |
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●宍道湖の夕景
袖師交差点から宍道湖沿いの国道を南へ300mほど行ったところに嫁ヶ島や袖師地蔵があり、この辺りで有名な宍道湖の夕景を最も美しく見ることができます。この付近はトイレや駐車場のある「宍道湖夕日スポット」として整備されているので、国道上でありながら、広い歩道から安全にじっくりと夕景を堪能できます。国道は夕日スポットを過ぎてもなお宍道湖沿いを行きますが、先述したように古い道筋は竪町交差点からやや内陸側を行くことになります。 |
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4803.嫁ヶ島の夕景 |
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4804.袖師地蔵 |
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4805.国道は宍道湖沿いに続きますが… |
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>拡大画像 袖師地蔵と嫁ヶ島の案内板 |
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さて、山陰道の道筋は竪町交差点からまず300mほど南下します。東側の雑賀町は下級武士が住んでいた場所だそうで、碁盤目状の町割りが特徴的です。普通乗用車でもかなり狭く感じるような道が交互に一方通行になっており、江戸時代から町割り自体に変化がないのだと思われます。新設の道標がある4807の写真の交差点を右折してしばらく行くと、幹の空洞の中にある塞の神が見られます。そして、4809の写真の変則的な形状の交差点で(写真では奥の道へ)左折して県道263号に入ります。松江から旧玉湯町の中心部まではこの県道が概ね旧街道の道筋を引き継いだ道路で、松江と玉造温泉を結ぶバス路線もこちらを経由します。 |
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4806.雑賀町の街路 |
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4807.ここを右折 |
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4808.こんなところに塞の神 |
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4809.県道263号へ |
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この付近は松江城下町を出ていますが、比較的早くから市街化が進んだエリアだと思われ、沿道には古い家屋が多く、宍道湖沿いの国道には新しい建物しかないのとは対照的で、こちらが旧街道であることを実感できます。松江開府の祖である堀尾家の菩提寺の円成寺もあり、堀尾吉晴の墓や銅像があります。 |
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4810.沿道は古くからの街 |
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4811.突き当たりを左折して国道へ |
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>拡大画像 円成寺の案内板 |
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大きくカーブして進路を南に変えると、続いて東側には善光寺があります。ここは源頼朝の家臣で宇治川の戦いの先陣争いで知られる佐々木高綱、その末裔であり日露戦争の将軍にして戦前の英雄である乃木希典ゆかりの霊場で、近年になって植え替えられていると思われますが、明治42年(1909年)に乃木大将が植えられたという松もあり、門前には砂見塚という芭蕉句碑もある寺です。 |
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4812.善光寺 |
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4813.砂見塚 |
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善光寺からさらに200mほど南下すると、松江総合運動公園や松江市立病院などへのアクセスとなる幹線道路が嫁島陸橋で頭上を越えていき、高架下には浜乃木の一丁地蔵が残されています。移設のため方向がずれてしまっていますが、「右 大社 札所 玉造 道」と記されています。なお、この地点は浜乃木地区で2つに分かれていた街道の分岐点でもあり、左折で前方にある小さな丘の東側を回る道が古い道、直進(右方向)で丘の西側を回る道が新しい道です。ここでは前者を選択することにし、左折して山居川を渡り、(高架橋から離れていく形で)道なりに続く道を進み、天平時代以前に創建されたという野代神社の前を通過します。 |
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4814.道標を兼ねた浜乃木の地蔵 |
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4815.山居川を渡って道なりに進む |
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4816.野代神社 |
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>拡大画像 野代神社の案内板 |
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けやき通りと名付けられた広い道路を横断すると、すぐにY字型交差点を斜め右に進み、さらにそのすぐ先もまた斜め右に入ります。ここからは旧街道らしき道が残されていたり、緩やかな坂の下に歳徳神のお堂、頂上に恵比須神社の小堂があったりするなど、都市郊外の平凡な風景の中にも旧街道らしさが感じられます。 |
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4817.斜め右に進んで、またすぐ斜め右 |
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4818.旧街道らしき道も残る |
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4819.歳徳神堂 |
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4820.恵比須神社 |
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坂道を下る途中で先述した新しい方の道筋と合流し、住宅街の中を道なりに進んでいき、松江農林高校のグラウンドに突き当たると右折、すぐ左折してその北側を西進します。もちろん旧街道はグラウンドを横切っていくようなルートだったそうです。左折で県道263号に戻り、忌部川を渡ります。 |
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4821.住宅街の中でもう一つのルートと合流 |
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4822.右折して高校の北を通過 |
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4823.県道263号に戻る |
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雲南市方面への主要地方道である県道24号の高架橋をくぐると、その先に有名大企業の工場がありますが、その敷地の最後に不自然な斜め右への分岐があり、敷地がそこだけ削られたような形になっています。その道に入れば、柵で区切られた工場敷地内に白龍大明神という小さな神社が見えますが、鳥居は工場の方ではなく、この細道の方を向いており、そのことからもこの道は古くからの道筋と思われます。 |
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4824.斜め右への分岐 |
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4825.工場敷地内の白龍大明神 |
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この細道は工場の西側で南に向きを変え、県道263号の西の少し高い位置にしばらく続きます。その道筋は緩やかな坂道を下り、再び住宅街に入った先にも続いていますが、その先が私有地という感じもするので、4827の写真の地点を左折して県道263号に復帰します。消防学校への道を横断した先にはコンクリート壁の中に一丁地蔵が1体だけ保存されています。 |
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4826.少し高い位置を行く |
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4827.ここで左折 |
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4828.保存された一丁地蔵 |
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山陰自動車道をアンダークロスしたところで右折すると、旧玉湯町に入ります。この辺りでは山陰自動車道の建設に伴って県道も立派な姿に整備されており、小さな丘越えをしていた旧街道の道筋は消失しています。 |
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4829.山陰道をくぐって右折 |
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4830.よく整備された県道 |
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旧玉湯町の東端にある布志名地区に入ると斜め左(南側)への旧道があり、その分岐点には山陰自動車道や県道の整備により移設された塞の神があります。その旧道はすぐに終わって県道を進むことにはなりますが、富士名判官の墓、明國寺、そして布志名焼の窯などの案内が目につき、興味深い歴史を持つ地区だと感じます。それは旧街道についても同様で、郵便局の付近ではかつて斜め方向の分岐だった痕跡が残っており、その交差点からは北側の旧道へ進みます。 |
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4831.布志名の塞の神 |
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4832.斜め方向の道の痕跡 |
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●布志名の一丁地蔵
布志名地区の西半分では北側の丘陵地に沿うように旧街道が続いています。山陰自動車道の高架橋をくぐって左折すると、道は緩やかに曲がりながら西を目指しており、途中には一丁地蔵が残っています。山陰で一丁地蔵と言えば何と言っても伯耆国の大山道が有名ですが、これまで一丁地蔵が残されている場所をいくつか見てきたことからもわかるように、この地域では地蔵信仰というだけでなく、キロポストとしての役割を持つ一丁地蔵を通して、旧街道が整備されてきたことがわかります。 |
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4833.布志名の一丁地蔵 |
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旧街道と思われる道は集落のほぼ西端まで続き、布志名西バス停付近で県道263号に戻ります。ここからはまた旧街道の道筋はわからなくなってしまっており、県道は一直線の緩やかな上り坂です。 |
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4834.山沿いに古い道筋が続く |
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4835.緩やかな上り坂が続く |
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坂道の頂上で短い仙石トンネルをくぐると、その先にある玉造病院の南側の交差点を右折します。この交差点の東側には「俵藤太」と刻まれた地蔵が残されていますが、現在の道路と逆の方を向いており、そこから荒れた竹藪の方へ旧街道らしき山道が見えます。 |
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4836.玉造病院のところで右折 |
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4837.「俵藤太」と刻まれた地蔵 |
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4838.旧街道らしき道も見える |
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旧街道は玉造病院の敷地を横切って山陰本線の線路の方へ続いていたようなので、病院のすぐ北にある4839の写真の交差点を左折し、自動車は通れない湯町原田踏切を渡って少し戻るような形で旧国道の方へ下っていきます。遠回りになるうえ、特に史跡も見当たりませんが、旧街道の道筋を想像することはできます。旧国道に戻れば、まもなく玉造温泉駅の前を通過します。駅名は有名な玉造温泉から付けられていますが、温泉街は駅から1km以上南に位置し、駅舎は北の湯町地区の街の方を向いています。駅前には湯町窯があり、布志名から湯町にかけての地域が窯業で発展してきた歴史を感じさせます。 |
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4839.玉造病院の先で左折 |
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4840.湯町原田踏切を渡る |
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4841.玉造温泉駅 |
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4842.湯町窯 |
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<9-5.矢田BS→松江大橋→松江城 |
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10-2.玉造温泉駅→来待駅> |
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- ●地名、人名等の読み方
- 嫁ヶ島=よめがしま
- 袖師=そでし
- 雑賀町=さいかまち
- 玉湯町=たまゆちょう
- 円成寺=えんじょうじ
- 源頼朝=みなもとのよりとも
- 佐々木高綱=ささきたかつな
- 乃木希典=のぎまれすけ
- 忌部川=いんべがわ
- 布志名=ふじな
- 俵藤太=たわらのとうた
- ●関連ページ
- ●参考資料
- ●取材日
- 2015.7.29/7.30/9.14
- 2017.4.21
- 2019.8.20
- 2021.9.9
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