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10-1.京橋/南殿町バス停→秋鹿町駅
松江杵築往還エリア [この区間の地図]
<9-5.矢田BS→松江城 10-2.秋鹿町駅→一畑口駅>
松江で一般的な定義での出雲街道は終点を迎えましたが、出雲と言えば、やはり出雲大社で、かつて出雲街道を歩いた人々の最終目的地であることも多かったでしょう。ここからは広義の出雲街道として、出雲大社を目指して宍道湖の北岸を通る松江杵築往還を進みます。松江から出雲大社までの道としては宍道湖南岸の山陰道を今市宿まで進むコースも利用されており、当サイトでも10年近くの間、山陰道経由のコースを採用していましたが、松江杵築往還の方が距離も短く、広く一般に利用された道と言えそうです。
その松江杵築往還の実質的なスタート地点は堀川に架かる京橋で、ここから南に行って突き当たりの交差点を右折して西を目指します。なお、この京橋へのアクセスですが、この付近は一方通行の道路が多く、同じ路線のバスでも方向によって経路が異なる場合が多いので、運行経路を確認して京橋バス停や南殿町バス停などを使い分けてください。

5001.京橋から南へ

5002.突き当たりを右へ
東茶町、西茶町と市街地を進んでいき、その次の苧町に入るところでは道が鉤型にずれています。その道路形状や土地利用の状況からも想像できるように、この辺りは松江城下町の範囲内であり、江戸時代には商業地でした。

5003.茶町

5004.鉤型の交差点
>拡大画像 鉤型路の案内板
突き当たりを左折していったん南に進路を変え、続いて道路に囲まれた小公園の末次広場がある交差点を右折します。案内板に記載されているように、ここは松江城下町の南西の要となる場所でした。

5005.突き当たりを左折

5006.末次広場
>拡大画像 末次広場の案内板
京橋川を渡ると、旧街道の道筋は西へ直進となりますが、ここは左折して松江市役所や松江しんじ湖温泉駅の方へ立ち寄ってみましょう。松江市役所の第4別館前の駐車場には移設された道標があり、「右 大社一畑道」とこれから歩いていく松江杵築往還を示しています。

5007.松江市役所の方へ寄道してみよう

5008.大社一畑道の道標
●松江しんじ湖温泉駅
松江しんじ湖温泉駅はJRではなく一畑電車の駅で、駅名が示すように付近の湖岸には温泉が湧いており、駅前には足湯もあります。一畑電車は松江杵築往還にほぼ並行しているため、これからの道のりにはとても重要な公共交通機関となります。一畑電車はかつて大手私鉄で活躍した車両が走っていたり、有人駅の改札口ではきっぷに鋏を入れてもらったりと、懐かしさを感じられるローカル鉄道です。また、松江しんじ湖温泉は昭和46年(1971)開湯という新しい温泉で、駅の南側には立派なホテルが立ち並んでいます。

5009.松江しんじ湖温泉駅

5010.駅前の足湯

5011.立派なホテルが並ぶ
旧街道は松江しんじ湖温泉駅の北の通りの2本北ですが、あえて1本北の道を西進すると千鳥児童公園があり、公園内に高さ2m近い大きな石の道標が置かれています。表面が風化してほとんど字は読めないのですが、わずかに読める部分から「右 大社」と推測できます。ここから旧街道筋に戻るとまもなく大雄寺の前を通過し、外中原町に入るあたりからは新しい住宅も増えてきます。

5012.千鳥児童公園に保存された道標

5013.大雄寺前を通過
>拡大画像 大雄寺の案内板
写真5014の交差点は松江市役所第4別館前で見た道標があった場所で、現在は五差路になっており、「右 大社一畑道」を思い出しながらほぼ直角に右折する道に入ります。正面に見える鳥居が見える愛宕神社までは行かず、写真5015の地点で斜め左に曲がりますが、鳥居前を右折して300mほど北上すれば松平家の菩提寺である月照寺があります。

5014.ほぼ直角に右折

5015.ここで斜め左へ
写真5016の交差点ではほぼ正面に続く道ではなく斜め右方向の道を選んで緩やかな上り坂にかかり、二つ池という池の側にある交差点を右折します。現在の国道431号や一畑電車がほぼ宍道湖の湖岸に沿ったルートなのに対し、旧街道の道筋は少し北の丘陵に入ることが多いというのが今後も続く傾向です。この付近は丘陵が迫っている中に古い道が通り、近代以降の道路がそこに追加された形になっているため、分岐が多く方向感覚も狂いがちなので、地図を確認しながら進むようにしましょう。

5016.斜め右で坂道にかかる

5017.二つ池にぶつかると右折
二つ池からは道なりに北西へ進みます。この辺りは新しい住宅も多いですが、都市郊外の新興住宅地のように整然とした道路にはなっておらず、史跡があまり見られない中でもどことなく旧街道らしさが感じられます。松江市営バスの路線もこのセンターラインもない道路を通っており、旧街道沿いの人の流れが健在であることを示しています。二つ池から600mほど進むと、また長池という溜池があり、その先から下り坂になります。

5018.国屋バス停

5019.長池を過ぎると下り坂
宍道湖沿いの平地に下ると、もう城下町エリアからはもうかなり離れていますが、民家の車庫の脇に入口がある妙徳寺、旧街道からの入口に大きな常夜燈がある布奈保神社などの寺社があります。

5020.妙見山の入口

5021.布奈保神社の常夜燈
浜佐陀市道踏切を渡ると浜佐田町の中心部で、浜佐田灘公民館や地蔵堂があります。国道を横断すると宍道湖も近づいてきて、旧道沿いに宍道湖の水産物の卸売業者も立地しています(松江から出雲大社までは文中で単に「国道」と書いている場合、国道431号を指しています)。

5022.浜佐陀市道踏切を渡る

5023.浜佐陀の地蔵

5024.水産物の卸売業者も
●茶屋前橋
国道を横断してから200mほどで茶屋前橋で佐陀川を渡ります。宍道湖のすぐ側にあることから橋上からの眺めも美しいですが、何と言ってもこの茶屋前橋は木造の橋が今もなお現役であることが特筆され、橋の脇から岸に下りれば下からその構造をじっくり見ることもできます。また、佐陀川は宍道湖と日本海を直結する運河で、松江藩により天明7年(1787)に完成しています。

5025.茶屋前橋
茶屋前橋を横断するとすぐに左折して道は湖岸に出ます。湖岸を歩けるのはわずかの間で、宍道湖から少し距離を置きながら道なりに西進していきます。道沿いには満願寺や日御碕神社があり、地蔵も見られて旧街道らしさがあります。

5026.宍道湖岸に出る

5027.満願寺の前を通過

5028.道沿いに地蔵
警察学校の前でいったん国道に出ますが、またすぐに斜め左の旧道に入ります。警察学校や盲学校もあって一見すると古道らしくない郊外の道路ですが、地蔵がいくつもあり、現役の生活感がある道沿いだけにきれいに祀られています。

5029.いったん国道に出て斜め左

5030.地蔵が何カ所も祀られている
再び国道に出ると松江イングリッシュガーデンの前を通過し、松江イングリッシュガーデン前駅に至ります。旧街道の道筋としては駅やスーパーに入る道の一つ西、写真5032の交差点を斜め右に入り、寺津入口バス停を左折して国道をくぐるという順で進んでいきます。

5031.松江イングリッシュガーデン前を通過

5032.ここを斜め右

5033.寺津入口バス停を左折
この付近では改良された国道が一直線に通っていますが、ほぼ同じ道筋を旧街道は少し曲がりながら通っていました。国道の南に出ると、少しの間ですが旧街道は田舎道の雰囲気となり、いったん国道に戻ってもまたすぐ側道に入り、こちらでは移設されたと思われる地蔵が見られます。

5035.旧街道らしい雰囲気になる

5036.側道に地蔵が残されている
国道は切通しで小さな丘を越えていき、その途中には北小原2号横穴墓という古墳もあります。旧街道の道筋としてはその先から北西に向きを変えて一畑電車の線路の方に出ていたそうですが、通れる道がないので写真5038の交差点まで国道を進んで右折します。

5037.北小原2号横穴墓

5038.ここを右折
国道を離れてから朝日ヶ丘駅を過ぎるまではセンターラインもある平坦な道路を歩きます。北側は見えないものの朝日ヶ丘の新興住宅地、南側は田園や運転免許センターなど公共施設となっていますが、南の平地は戦後になってから宍道湖を埋め立てたもので、旧街道はかつて湖岸を通っていました。

5039.史跡のない道が続く

5040.朝日ヶ丘駅
朝日ヶ丘駅の西の写真5041の交差点で斜め右の道に入り、しばらく西に進むと写真5042の交差点では正面にも古い道筋らしき道が見えますが、踏切がないので右折して東長江市道踏切を渡ります。踏切を渡ると左折、その西の交差点は右折、次の交差点を左折して突き当たりを右折の順で進みます。やや不自然に思える進み方ですが、江戸時代の旧街道に近い道筋を進もうとするとこの道順になります。

5041.斜め右へ

5042.右折して東長江市道踏切を渡る

5043.ここを右折して

5044.ここを左折
その先は小さな峠越えとなり、灘東の集落を目指します。本来の旧街道の道筋はもう少し南を通っていたそうで、歩くのは国道の旧道となり、特に史跡も見つかりませんが、それでも宍道湖から少し距離を置いて木々の間を抜けていくという松江杵築往還らしい道です。

5045.小さな峠越え

5046.灘東の集落へ
続く灘東の集落では道なりに進めば長江駅に至り、それが旧街道と思えるような道路形状になっていますが、古い道筋としては写真5047の交差点を左折して、すぐに写真5048の地点を右折、突き当たりを左折の順で長江駅の東に出てきます。長江駅は片面ホームのみの小さな駅で、ホームと道の間は柵で区切られているだけでまったく段差がなく、旧街道がそのままがホームになったような形をしています。

5047.ここは左

5048.ここで右

5049.長江駅
長江駅の西では300mほどの間、旧街道はまた山の方に入ります。駅のすぐ脇でその道筋も見えますが、その先で道が荒れているそうなので、ここは写真5051の交差点まで国道を歩いて山道を迂回します。

5050.山道には入らない

5051.右折して旧街道に戻る
西長江3踏切を渡ってすぐに左折すると、旧街道が未舗装の状態で残っており、地蔵も見られます。周囲は圃場整備がなされているため、未舗装の旧街道を歩けるのは100m足らずです。

5052.西長江3踏切を渡ってこの道へ

5053.道端の地蔵
●西長江の道標
現在の道路に出て西に進むと、次の交差点のところに「左 大社 右 一畑」と、出雲大社への松江杵築往還と一畑薬師への一畑中道の分岐を示す道標が立っています。元の場所はここではなく、西に見える丘陵の手前にあり、松江杵築往還はその付近から古道の雰囲気をよく残した山道となりますが、道筋がわからなくなるほど草木が茂っているところがあるため、ここはいったん国道に出ます。なお、一畑中道の方も一丁地蔵や道標が多数残されている古道です。

5054.西長江の道標
国道を500mほど進むと、秋鹿県道踏切を渡って旧道に入りますが、ここはまだ旧街道ではありません。国道の旧道なのに踏切が県道踏切という名前なのは不自然に思えますが、これは国道431号が昭和56年(1981)に国道に指定された新しい国道であるためで、踏切を渡る道は国道昇格前に旧道となっていたことがわかります。松江杵築往還の沿線には、このような「旧国道ではない国道の旧道」や「県道が横断しない県道踏切」が多数存在します。旧道に入って450mほど進んだ写真5056の交差点を右折し、続いてそのすぐ北の交差点を左折すると、旧街道の道筋に戻ります。

5055.旧道に入って秋鹿県道踏切を渡る

5056.ここを右折
旧街道に入ると家並みが続くようになり、100mほどで道は丘陵にぶつかります。旧街道の道筋はまた丘陵の方に入っていたそうですが、ここは鉤型に曲がって国道の旧道に戻り、秋鹿町駅に至ります。秋鹿町駅は駅舎もあって全列車が停車する駅で、利用者向けの無料駐車場もあります。

5057.旧街道沿いの家並み

5058.秋鹿町駅
<9-5.矢田BS→松江城 10-2.秋鹿町駅→一畑口駅>
  • ●地名、人名等の読み方
    •  秋鹿=あいか
    •  杵築=きづき
    •  苧町=おまち
    •  大雄寺=だいおうじ
    •  月照寺=げっしょうじ
    •  国屋=くや
    •  浜佐陀=はまさだ
          
  • ●関連ページ
    •  
          
  • ●参考資料
    •  島根県教育委員会「島根県歴史の道調査報告書第十集 松江美保関往還 松江杵築往還 巡見使道」
    •  樹林舎「定本 島根県の歴史街道」
          
  • ●取材日
    •  2020.2.28
    •  2022.11.18
    •  2023.10.28
    •  2024.1.14
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