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10-4.雲州平田駅→武志駅 |
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●松江杵築往還エリア [この区間の地図] |
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<10-3.一畑口駅→雲州平田駅 |
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10-5.武志駅→出雲大社・稲佐の浜> |
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平田から西の松江杵築往還は土手往還と呼ばれる南寄りのルートと山手往還と呼ばれる北寄りのルートに分かれます。現在の国道は山手往還に近い道筋で、平田市街から県道159号を南西に進んで国道と交差する京町交差点の案内標識でも出雲大社は右折となっていますが、ここは土手往還を選んで直進します。 |
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5301.県道159号沿いにも街は続く |
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5302.京町交差点で国道を横断 |
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京町交差点から200mほどで次は一畑電車の古土手県道踏切を渡ります。この付近にはかつて斐伊川の堤防があったそうで、県道の改良も進んでいる中ではその跡も見当たりませんが、地名に名残が残されています。古土手県道踏切から500mほどで県道275号と合流する西代交差点を左折します。最近になって現在の形に改良された交差点のようで、歩道は直進に近い形となります。 |
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5303.古土手県道踏切を渡る |
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5304.西代交差点 |
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県道がカーブして斐伊川の堤防に上っていく交差点では直進の旧道に入ります。旧道もカーブして堤防に上がっていくところには一畑薬師の常夜燈があります。 |
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5305.直進を続ける |
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5306.一畑薬師の常夜燈 |
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●西代橋風光スポット
堤防の上は出雲路自転車道で、「西代橋風光スポット」と名づけられた休憩スポットとなっています。ここは天気等の条件が良ければ東の大山、南西の三瓶山の両方が見え、国引き神話をイメージできる場所です。ここからの松江杵築往還は出雲路自転車道と重複し、土手往還という異名の通りに斐伊川の堤防上を西進します。史跡も少なく単調な道にはなるものの、眺めは良く、ハイペースで快適に歩くことができます。 |
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5307.遠くに三瓶山が見える |
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5308.自転車道には距離の表示も |
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>拡大画像 出雲路自転車道の案内板 |
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●出雲平野の散居村と築地松
斐伊川の堤防は改良を重ねられ、堤防上の自転車道に旧街道の面影はありませんが、少し高い位置から出雲平野の眺めが楽しめます。出雲平野では伝統的に家屋が密集することなく散在している集落が多く、この付近では美談町地区がその傾向を示しています。また、古い家屋では築地松と呼ばれる高い松が周囲に植えられていることもあります。築地松は西から吹き付ける冬の季節風から家屋を守ることを主目的(それ以外にも副次的な効果があります)に植えられているもので、散居村と並んで出雲平野の景観の一大特徴となっています。現在ではこういった伝統的景観を持つ集落は減りつつありますが、一方で地域の伝統文化を守る活動も盛んになってきています。 |
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5309.散居村 |
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5310.築地松のある民家 |
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●御杖桜
かつて斐伊川は出雲平野に出てから西に流れて神門水海(現在の神西湖)に注いでいましたが、寛永12年(1635)の大洪水以降、東の宍道湖に流れるように流路を改める一大事業が行われました。現在の美談町地区などにはそれによって水没することになる村々もあり、その直訴を受けた当時の松江藩主である松平直政は訴えを認めて、この場所に桜の杖を立てて計画の変更を命じました。その記念として地元ではその地点に桜を植え、御杖桜と名付けて歴史を残しています。現地を歩いていても気づきにくいのですが、実際、斐伊川の堤防は御杖桜の付近で少し南に膨らんだ形をしています。 |
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5311.御杖桜 |
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御杖桜の歴史に語られていたように堤防は緩やかなカーブを描きながら西へ続きます。御杖桜から1kmほど西にある伊丹堂も松平直政ゆかりの地蔵堂で、こちらは斐伊川堤防完成後に建てられたものですが、当時の松江藩にとって斐伊川の改良は藩主が何度も足を運ぶほどの大事業であったことが想像できます。 |
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5312.緩やかなカーブは続く |
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5313.伊丹堂 |
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>拡大画像 伊丹堂の案内板 |
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一畑電車の北松江線と大社線の分岐駅である川跡駅を見下ろすあたりから大きなカーブを描いて南へ向くようになり、河川敷は広大な斐伊川河川敷公園となります。旧街道の道筋としては写真5314のゲートのところから堤防を下りて西に向きを戻しますが、すぐ近くに潜水橋の井上橋があるので河川敷の方に立ち寄ってみましょう。公園内には膳夫神社という神社の跡もあります。 |
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5314.旧街道はここで堤防から下る |
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5315.公園内の膳夫神社跡 |
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●井上橋
井上橋は松江杵築往還の武志と山陰道の直江の間を結んでおり、出雲市の旧斐川町エリアと出雲大社との間の最短ルートとなっています。250mほどの長さがある潜水橋は単に歩くだけでも楽しいですが、水面近くからの視点が大きな魅力で、川底に鉄穴流しによる砂が溜まっていること、その砂に鉄の成分を含まれているため川が赤っぽく見えること、堤防との高低差から斐伊川が天井川となっていることが感じ取れることなど、川に極限まで近づけるからこそ、たたら製鉄によって生まれた地域性がよくわかります。 |
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5316.井上橋 |
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5318.大河川のすぐ上を一直線 |
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5319.川底は赤っぽい |
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堤防を下ったところには若狭土手の案内板があり、京極若狭守忠高が斐伊川の改修を手がけた話が紹介されています。松江藩における京極氏の時代はわずか3年ですが、その間に寛永12年(1635)の斐伊川大洪水があり、斐伊川の大改修を決断した京極忠高の功績が堤防の名前として残されています。長く続いた堤防の道が終わると、子安観音堂や鹿島神社の鳥居の前を通り、旧街道らしい道に戻ります。堤防を下ると、350mほどで一畑電車北松江線の武志駅で、ホーム上に自転車が置かれているというJRのローカル線でも見られないような光景が見られる小さな駅です。 |
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5319.堤防を下った旧街道は西へ |
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5320.子安観音堂 |
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5321.鹿島神社 |
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5322.武志駅 |
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>拡大画像 若桜土手の案内板 |
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<10-3.一畑口駅→雲州平田駅 |
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10-5.武志駅→出雲大社・稲佐の浜> |
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- ●地名、人名等の読み方
- 斐伊川=ひいかわ
- 西代=にしだい
- 築地松=ついじまつ
- 神門水海=かんどのみずうみ
- 神西湖=じんざいこ
- 寛永=かんえい
- 美談=みだみ
- 松平直政=まつだいらなおまさ
- 伊丹堂=いたんどう
- 川跡=かわと
- 井上橋=いあげばし
- 斐川=ひかわ
- 若狭=わかさ
- 京極忠高=きょうごくただたか
- ●関連ページ
- ●参考資料
- 野津貴章「江戸時代の松江美保関往還 松江杵築往還を歩く」
- 島根県教育委員会「島根県歴史の道調査報告書第十集 松江美保関往還 松江杵築往還 巡見使道」
- 樹林舎「定本 島根県の歴史街道」
- ●取材日
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