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10-5.武志駅→出雲大社・稲佐の浜
松江杵築往還エリア [この区間の地図]
<10-4.雲州平田駅→武志駅
●一里塚松
武志駅から400mほど行くと地蔵がある交差点があり、その左(南)側に北陽第2こどもクラブと川跡コミュニティセンターがありますが、両施設の間には松江杵築往還にあった一里塚の松が移植されています。場所こそ少し移されているものの江戸時代から生き続けている松で、地域のシンボルとして大切に守り続けられています。松江杵築往還にも一里塚は設けられていましたが、現在でも史跡として案内板等があるのはここだけです。なお、案内板において幼稚園という記載がありますが、これは北陽第2こどもクラブのことを指しています。

5401.立派な松が生き続ける
>拡大画像 一里塚松の案内板
武志駅を過ぎると稲岡町と荻杼町、高岡町と進んでいき、旧街道がその境界線となっていますが、道はカーブを描いています。「川跡」という地名が示すようにこの付近には改良前の斐伊川が流れていたため、古くから存在した道の形状はかつての地形の名残であるような気もします。沿道には家並みが続き、地元の生活道路としてそれなりに交通量があります。

5402.旧街道は曲がっている.

5403.稲岡秋葉神社と大歳神社跡
>拡大画像 稲岡大歳神社跡の案内板
高岡町に入ったあたりからはさすがに家並みは連続しなくなりますが、道沿いの家屋が長く途切れることはありません。背景は島根半島の山並み、途中で通る集落に多く残るのは石州瓦の古い家屋と、出雲平野らしい景色が続きます。

5404.島根半島の山並みを見ながら

5405.石州瓦の家並みを縫って進む
写真5406の交差点を右折しますが、この交差点には道標があります。読み取りにくい状態となっていますが、「右 大」とは読めるので、武志方面から来て大社へは右折であることを示しているとは言えそうです。道は曲がっても同じような風景が続きますが、丁地蔵があったり道が鉤型に曲がったりするなど、旧街道らしい要素は所々に見られます。

5406.ここで右折

5407.交差点の道標

5408.丁地蔵

5409.鉤型の交差点
●粟津稲生神社
高浜駅の南で県道258号のバイパス、次いで旧道を横断すると、北に大土神社、光福寺と寺社が並ぶようになります。中でも粟津稲生神社は20本以上並んでいる朱い鳥居と社殿との間に一畑電車の線路が横切っているという、まさにここでしか見られない光景が見られる神社です。いわゆる撮り鉄だけにとどまらない人気のフォトスポットになっていますが、踏切は遮断機も警報機もない第4種踏切、駐車場は周辺住民のご厚意で利用させていただく私有地なので、マナーは厳守でお願いいたします。

5410.粟津稲生神社と一畑電車
粟津稲生神社から200mほど西に進むと「旧杵築往還」と記された新しい標柱があり、ここから常松町にかけての短い区間ですが数カ所に設置されていて旧街道の道筋を案内しています。旧街道は西北西に直線的に続いていたと思われ、その痕跡も見られますが、現在の道はここで緩やかにカーブし、平野2踏切の前後で鉤型に曲がります。

5411.旧杵築往還の新設標柱

5412.平野2踏切を渡ってすぐ左折

5413.西北西へ一直線

5414.杵築往還の標示もしばらく続く
県道276号と交差すると旧大社町の遥堪地区に入ります。この付近ではセンターラインもない県道ですが、出雲市駅と出雲大社を結ぶバス路線の一部が経由しており、一畑電車の遥堪駅もすぐ南にあります。写真5414の交差点で道は二手に分かれ、取材日に工事があったため迂回が指示されていますが、ここは斜め右の道に入って堀川沿いに出ます。

5415.県道276号と交差

5416.ここは斜め右
●弥山
堀川沿いに出ると広々とした田園地帯になりますが、400mほど西の入南橋の周辺には旧遥堪村の役場があり、現在でも遥堪小学校やJAの支店などの施設が集まっています。この付近からは北に弥山がよく見えるようになり、入南橋の南詰には弥山を指す道標もあります。弥山は標高506m、出雲平野や日本海を見渡す眺望がすばらしい山で登山道も整備されており、かつては信仰の対象にもなっていました。

5417.入南橋と道標

5418.堀川沿いに田園地帯を行く

5419.北には弥山が良く見える
出雲大社線と名付けられている県道28号を潜ると、南から古内藤川が近づいてきて道は川に挟まれます。堀川も古内藤川も大幅に改修されて人工的な姿をしていますが、川の改修前から往来の多かった道筋に配慮された形になったと想像できます。実際、旧街道は緩いカーブだけで進むことができ、古内藤川を渡ると再び道沿いに家が並ぶようになります。

5420.歩道は県道28号を潜る

5421.堀川と古内藤川に挟まれる
古内藤川を渡って250mほどで変則的な形状の交差点があり、そこには大社方面から見て「左 平田 右 今市」という道標があります。平田方面には国道431号、今市方面には県道28号に該当する古道の交差点だけに、かつてはとても賑わっていた場所だったと想像できます。この付近からは地元住民の車の交通量も増え始め、いよいよラストコースに入ったという感じがします。

5422.平田と今市に分かれる道標

5423.家並みが続くようになる

5424.明源寺
道標から1.5kmほど、少しずつ家並みが密になってくると神光寺橋で再び堀川を渡ります。下流側には宇迦橋の大鳥居が見え、渡ると馬場通りと呼ばれる昔からの門前の街並みに入ります。

5425.神光寺橋

5426.宇迦橋の大鳥居も見える
馬場通りは現在の参詣ルートから外れているため、古くからの門前通りでありながらも観光客向けの店は少なく、生活道路という雰囲気です。前方に神門通りの賑わいが見えてくると観光客向けの店も見られるようになってきますが、昔からの馬場通りは写真5427の地点を右折し、またすぐに左折という道順になります。勢溜へ上っていく最後の50mほどは自動車の通れない細道となって江戸時代の墓も含む墓地の脇を抜けていき、最後の最後でかつての道の雰囲気がわずかに残っています。

5427.ここで右折

5428.これが古い道
●出雲大社1
そうして到着した勢溜は大社正面の低い丘の上にあり、江戸時代には富籤場が開かれるなど、多くの人々が集まることを前提にした広場です。現在でも出雲大社は年間800万人以上が訪れる一大観光地で、「神在月」には「八百万」の神々もここを訪れます。当サイトらしく道に注目しながら参道を進んでいくと、微高地の勢溜から本殿へ向けて下っていることがはっきりわかります。100年前まで参道から真正面に伸びる道(神門通り)がなかったということも含め、珍しい形状の参道を持つ神社ということができます。

5429.勢溜の大鳥居へ到着

5430.本殿へ「下る」

5431.真ん中は神様の通り道
>拡大画像 大社広域観光案内
●出雲大社2
出雲大社は平成の大遷宮を終えて、工事も完了した境内をじっくりと見て回れるようになっています。出雲大社の歴史や各社殿の意味といった事柄は私などがご案内することもないので全て省略させていただきますが、全国屈指の神社だけにその神々の伝承や歴史のストーリーは奥深く、単に参拝するだけでなく、地元ボランティアガイドに案内していただくことのも良いでしょう。

5432.遷宮の終わった拝殿
出雲大社周辺には多くの見どころがあり、特に出雲大社の東に隣接する古代出雲歴史博物館は出雲の歴史を学ぶのに最適な施設です。そして、勢溜の大鳥居から正面に伸び、宇迦橋の大鳥居、そして旧大社駅を結ぶ神門通りは明治45年(1912)の国鉄大社線開通に合わせて整備されたという出雲大社の長い歴史から見れば新しい道ですが、紛れもなく現在の門前町を形成するメインストリートとなっています。近年では新しい店も増えてそれぞれに観光客を楽しませる工夫がなされている一方、一畑電車の出雲大社前駅のような古い建築物もあり、直近約100年の間にも出雲大社の門前が様々な歴史を刻んできたことが感じ取れます。

5433.古代出雲歴史博物館

5434.夜の出雲大社前駅
さて、こうして出雲大社に到着したわけですが、瀬戸内海側(山陽)の姫路から中国山地を越えて日本海側(山陰)まで歩いてきた旅の終わりだけに、大社周辺の古い道を辿りながら、最後は稲佐の浜で日本海を見に行くことにしましょう。勢溜の大鳥居から西への道は稲佐の浜からやってくる神様が通る「神迎の道」と呼ばれ、古くから存在する門前の道でもあり、この先も続く松江杵築往還でもあります。

5435.神迎の道へ

5436.緩やかな坂道を下る
●四ツ角
勢溜から西へ緩やかな坂を下っていくと、三叉路が2つ隣接したような形状の「四ツ角」に辿り着きます。ここは南からの道として利用されてきた市場通りとの交差点です。歴史的に出雲大社の門前町は主として南西の方で発展してきており、この四ツ角が門前の中心と位置付けられる場所でした。神門通りがメインの門前町となった現在でも、出雲大社参拝の観光客がこの辺りまでは多く歩いており、付近にあるいくつかの老舗の出雲そば屋では、休日のお昼時には大都市の人気店を思わせるような行列ができています。

5439.四ツ角

5440.南(左)は市場通り

5439.老舗の割子そば
四ツ角は正面に進み、引き続き西へ進みます。沿道には江戸時代に建てられた米蔵や酒蔵を改装した手錢美術館などがあり、鉤型になった浜四ツ角を右折します。

5440.手錢美術館

5441.浜四ツ角は右折
浜四ツ角で北に向きを変えますが100m足らずでまた左折、その先は自動車が通行不能になるとの予告を受け、写真5442の交差点を右折します。そこから道はますます細くなり、安養寺を回り込むようにして写真5443の交差点を右折、国道に出ます。狭く入り組んだ旧街道がこの周辺が古くから市街化していたことを感じさせます。

5442.ここで右折

5443.安養寺付近の道

5444.ここは右折で国道へ
●出雲阿国の終焉地
国道に出ると旧街道は左折ですが、正面には奉納山公園があり、その中には歌舞伎の創始者である出雲阿国を顕彰し、その終焉地の碑や日本海を見下ろす阿国塔があります。なお、この300mほど東、出雲大社との間の国道沿いに阿国の墓もあります。

5445.阿国塔

5446.出雲阿国終焉地の碑

5447.出雲阿国の墓
>拡大画像 阿国の道周辺案内
>拡大画像 出雲阿国の墓の案内板
国道を西進するといよいよ海も見えてきますが、松江杵築往還の道筋は写真5448の大歳社のところで斜め右へ、下の宮のある交差点を右折し、北に向きを変えます。このあたりまで来ると観光客もあまり見かけなくなりますが、200mほど行けば神話ゆかりの屏風岩、さらに100mほど先に因佐神社と、旧街道沿いには神々ゆかりの社や伝説地が次々に登場します。江戸時代には出雲大社と合わせて日御碕神社にも参拝する人が多かったそうで、松江杵築往還はまだこの先も日御碕へ続きますが、当サイトとしてはここで稲佐の浜に出て終点とさせていただきます。

5448.大歳社で斜め右

5449.下の宮で右折

5450.屏風岩

5451.因佐神社
>拡大画像 屏風岩の案内板
●稲佐の浜
稲佐の浜は国譲り神話の舞台となった場所です。当然ながら姫路を出てから初めて見る海で、美しい砂浜と神話ゆかりの弁天島を見ると、本当に遠くまで来たという実感が湧いてきます。そして、稲佐の浜は西の海に沈む夕日の美しさも知られており、平成29年(2017)には日御碕神社等も含めた周辺文化財群が「日が沈む聖地出雲 〜神が創り出した地の夕日を巡る〜」として日本遺産にも認定されました。

5452.稲佐の浜(弁天島)
>拡大画像 稲佐の浜の案内板
<10-4.雲州平田駅→武志駅
  • ●地名、人名等の読み方
    •  荻杼町=おぎとちちょう
    •  粟津稲生神社=あわづいなりじんじゃ
    •  遥堪=ようかん
    •  弥山=みせん
    •  宇迦橋=うかばし
    •  手錢美術館=てぜんびじゅつかん
          
  • ●関連ページ
    •  
          
  • ●参考資料
    •  野津貴章「江戸時代の松江美保関往還 松江杵築往還を歩く」
    •  島根県教育委員会「島根県歴史の道調査報告書第十集 松江美保関往還 松江杵築往還 巡見使道」
    •  樹林舎「定本 島根県の歴史街道」
    •  大社史話会「出雲国大社観光史 〜参詣地から観光地へ〜」
          
  • ●取材日
    •  2015.9.15
    •  2016.7.16
    •  2018.2.22
    •  2020.2.28
    •  2024.1.14
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