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11-1.荘原駅→直江駅
出雲エリア この区間の地図
<10-4.宍道駅→宍道宿→荘原駅 11-2.直江駅→神立橋→出雲市駅>
荘原駅と国道を結ぶ県道196号西に進み、石川橋で新石川を渡ると国道の学頭交差点に至り、国道を横断すると新橋で新建川を渡って荘原の街に入っていきます。この付近ではこのような河川が多いのが特徴ですが、その多くは人工的な地形の改変によって造られたものと思われます。

5201.学頭交差点

5202.新橋で新建川を渡る
この辺りは現在の地名は「斐川町学頭」「斐川町荘原」ですが、さらに細かい地名を見ると、「北灘」「島灘」というように「灘」と付く地名が多くあり、やはり宍道湖の湖岸線がかつてこの辺りにあったことを想像させます。それなりの市街を形成している荘原の街は元々港町として発展してきたそうです。戦後の混乱期に昭和天皇が全国を行幸された際にも荘原に立ち寄られたそうで、市街を抜けたところにはその記念碑も建てられています。

5203.荘原の街並み

5204.昭和天皇行幸の記念碑
出東入口交差点からは県道243号に入ります。この県道も旧街道らしい姿は残されていませんが、沖洲天満宮の参道と交差する地点には新しい常夜燈が設けられているなど、古い道筋を引き継いだ道路であることは想像できます。5206の写真の地点はいかにも古い道が接続している雰囲気で、ここを斜め右に入ります。

5205.沖洲天満宮の参道と交差

5206.ここを斜め右へ
●築地松
出雲平野の古い家屋には高い松が周囲に植えられている家が多く、「築地松」と呼ばれています。これは西から吹き付ける冬の季節風から家屋を守ることを主目的(それ以外にも副次的な効果があります)に植えられているもので、先述の散居村と並んで出雲平野の景観の一大特徴となっています。現在では伝統的な築地松を持つ民家は減っていていますが、地域の伝統文化を守る活動も盛んになってきています。

5207.築地松を持つ民家

5208.旧街道沿いにも並んでいます
荘原から直江までの旧街道には特筆するほどの史跡は少ないものの、馬役集落内は旧街道らしい雰囲気もあり、一里塚もあったそうです。馬役の集落を過ぎると広大な田園地帯になり、その先には農協関係の施設や倉庫が集中しています。

5209.馬役の集落内

5210.広大な田園地帯
5211の写真の地点のすぐ南には国道の荒神谷入口交差点があります。ここから3kmほど南には全国でも最多の銅鐸や銅剣が発掘されたことで有名な荒神谷遺跡があります。旧街道の道筋としてはここも直進し、200mほど行った先で国道を横断し、直江の街に入っていきます。

5211.なおも直進

5212.国道を横断して直江へ
●直江
直江の街では旧国道と思われる道が中央を貫き、現在の国道が北をバイパスしています。一方、南にも古そうな道筋があり、旧国道と思われる道との間は小路がつながれています。江戸時代には出雲特産の木綿の市で繁栄した町で、目を引くほどの古い建造物こそ見当たらないものの、かなり規模の大きい街並みを有しています。街並みの中央付近には金刀比羅宮があり、その脇には伝統の一式飾りも展示されています。

5213.直江一色飾り館

5214.南北の通りを小路が接続

5215.金刀比羅宮出雲分社
>拡大画像 直江一色飾りの案内板
5216の写真の交差点を左折して伊波野川踏切を渡り、進路を南に変えます。この付近は新興住宅地となっていて、旧街道は消失してしまっています。

5216.左折して伊波野川踏切を渡る

5217.新興住宅地の中を行く
5218の写真の交差点を右折すれば200mほどで直江駅の裏口に行けます。直江駅は先述した直江の街の中心部からは1km以上も西にありますが、逆に現在では線路の南東側の新興住宅地や、郊外型の発展を遂げている北西側の国道沿いに対して便利な立地になっています。

5218.直江駅は右へ

5219.直江駅
<10-4.宍道駅→宍道宿→荘原駅 11-2.直江駅→神立橋→出雲市駅>
  • ●地名、人名等の読み方
    •  学頭=がくとう
    •  新建川=しんたてがわ
    •  伊波野=いわの
          
  • ●関連ページ
          
  • ●参考資料
    •  樹林舎「定本 島根県の歴史街道」
    •  島根県立古代出雲歴史博物館「入り海の記憶 知られざる出雲の面影」
          
  • ●取材日
    •  2015.9.14
    •  2016.7.16
    •  2017.8.24
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