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第6回大山みちを歩こう会(令和元年5月19日)
平成24年(2012年)に始まり、真庭地域の出雲街道と大山道を歩き続けてきた「出雲街道勝山宿の会」の「歩こう会」イベントもいよいよ最終回です。本当にこれが最後になってしまうなら寂しいですが、とりあえずは鳥居ヶ乢や郷原の石鳥居を経て蒜山に至るという最終回にふさわしいコースをみんなで楽しみたいものです。
当日の集合場所は蒜山インター近くの「道の駅風の家」。風車が回り、受付の資料等も飛んでしまうような風の強さだったものの、一応晴れていて、大山とはいきませんが蒜山三座は見えています。前回、二川から禾津まで歩いたときと同様、まずバスで二川へ移動しますが、バスが走るのは国道482号で中福田まで東進してから県道322号を南下する形となり、この後歩くコースより遠回りなのも前回と同じです。

8501.道の駅風の家からバス移動
これまた前回と同じく「二川こうふく村」にてまず昼食の「二川ふれあい弁当」をいただきます。もちろん地元産食材を多用した地産地消の弁当ですが、その内容は前回とは大きく変わっていました。湯原や蒜山のような田舎でも四季変わらないコンビニ弁当が買える時代になっているからこそ、同じ場所の同じ弁当でも秋と春では全然違うものが出てくるというあたりまえのことが新鮮に感じます。

8502.二川こうふく村へ

8503.二川ふれあい弁当
旧二川中学校の古い木造校舎を活用した「二川こうふく村」を出発し、粟谷川対岸に昨年度限りで閉校となった旧二川小学校を見ながら立石の交差点に向かいます。小学校の方はまだ新しい校舎を持っており、そのことについての会話をしていた参加者の方も「もったいない」という感想を話されていました。過疎地の学校がどんどん閉校になっていく中ですが、一方で「二川こうふく村」の中では、「第2回大山みちを歩こう会」で立ち寄った同じ真庭市内の旧上田小学校がカフェ、ショップ、美容院、ゲストハウスを併設した「UEDA VILLAGE」としてオープンしたことを知らせるポスターも貼られていました。過疎地の学校をどうするのか、色々な意見はあると思いますが、どんな形になるにしても地域の拠点となる場所として有効活用してほしいものですし、そういった活動を応援していきたいものです。

8504.対岸に「旧」二川小学校

8505.閉校活用の動きも本格化
前回もスタート地点となった立石コミュニティハウスの前にある道標について前回同様のガイドがあり、今回はここから北へ向けていきなりの急坂にかかります。近代の県道が避けた昔の道筋ですが、ここの峠道の距離は短く、400mほどで中山天王宮のある中山乢に至ります。

8506.いきなりの上り坂

8507.すぐに中山乢に到着
中山乢からは下り坂に変わり、中山集落を通過して藤森へと下っていきます。今回の「大山みちを歩こう会」ではドローンによる撮影も行われており、所々でドローンが飛ばされていました。「出雲街道勝山宿の会」の最近の活動として目立っているのが「出雲街道 再発見の旅」のDVD制作です。

8508.飯山城跡にドローン
藤森の集落に入るところには大きな地蔵堂がある十字路があります。ここは旧二川村の北の要と言うべき場所で、東の湯原温泉の方から来る、現在は湯原ダムの底に沈んでしまった大山道の合流点でもありました。ここでは長めのガイドがあり、正直、あまり聞けていないのですが、湯原ダムの建設により失われてしまった道筋と村の言い伝えなどが語られていたようです。

8509.藤森周辺の村の歴史が語られる
今回は途中にトイレが全くないコースなので、建部神社の脇にある集会所のトイレの使用許可を得てくださっており、ここで小休憩となります。この建部神社は藤森の村の氏神様というだけでなく、湯原ダムの底に沈んでしまった神社も合祀しているそうです。藤森が旧二川村の村々の中でも北の中心拠点となっていた場所だと聞いても、現在ではその実感に乏しいですが、周辺の集落の多くが沈んでしまったこと、主産業であった木地生産やたたら製鉄が滅びてしまったことが要因だけに仕方のないことです。それでも、だからこそ今日のイベントのように、そういった歴史を語り継ぐ場が必要とは言えるでしょう。

8510.建部神社で休憩
それでもさすがに藤森は小さな史跡の多い集落で、時代の割に精巧に彫られた地蔵が印象的な天明7年(1787年)の三界萬霊塚もあり、集落の家屋の並び方は宿場町のような形をしていることもわかります。

8511.三界萬霊塚

8512.家並みが続く
そんな藤森の中でも大山道という意味で最大の見どころとなるのは、集落を出て県道322号を横断したところにある道標地蔵です。多くの参加者が足を止めて彫られた文字を解読し、古道のネットワークに思いを馳せています。

8513.道標の楽しい解読大会
ここからは藤森川に沿った単調な道が3km以上も続き、地蔵や供養塔の一つも見当たりません。渓流の眺めが楽しめるでもなく、途中の奥田集落は消滅、山も田畑も放置されて荒れがちなため、田舎の美しい風景であるとも言えません。地元の人の立場からすると、全く自慢できない道かもしれませんが、古道歩きの立場からすると、勾配も緩やかで車もほとんど通らない道が目的地の方向に直線的に続いているというのはありがたいことです。この手のウォーキングイベントだと、仲間と話しながら歩けば単調な道が長く続いても時間が過ぎるのが早く、この辺りでは私も前回も来ていた小学生と一緒に歩きます。

8514.単調な道が長く続く

8515.勾配がきつくなればもうすぐ峠
峠のピークを越えると、そこは鳥居ヶ乢の大山神門です。時折晴れ間が見える程度の曇天のこの日は、大山は下の方しか見えていない状態で、長く歩き続けた末にこの場所から鮮やかな大山を見るという感動の体験ができなかったのは残念でした。これまでの「大山みちを歩こう会」ではなかった全員の集合写真撮影もここで行われただけに、なおさらそう思います。それでも、鳥居の柱と雲雀塚の芭蕉句碑があるこの場所に来れば、たとえ大山が見えずとも、大山まで行けない人達のための遥拝所となっていたというこのロケーションのすばらしさを感じることはできるでしょう。

8516.鳥居ヶ乢では集合写真の撮影

8517.大山大権現遥拝の場所です
大山から蒜山にかけての山並みを見ながら下り続けていくと周囲が開けてきます。鳥居ヶ乢の南の旧湯原町エリアと北の旧川上村エリアでは全く地形が違っていて、蒜山高原が大昔には湖だったことを裏付けるかのようです。8520の大師像のガイドもありましたが、沿道に自生する山菜や花に興味を向ける参加者の姿も目立ちました。歴史だけではなく、地学や生物の分野まで、ハイブリッドな楽しみ方ができるのが今日のコースの特色です。

8518.遠くの山並みを見ながら下る

8519.地形が変わりました

8520.大師像

8521.峠を越えて植生も変わる
鳥居ヶ乢から下ってきた道が突き当たる地点には牛舎があり、そこを左折していきます。地域と牛の関係は大山道が牛馬の道として栄えた時代とは変わってしまったとは言え、真庭市北部では現在もなお酪農・畜産が盛んで、地域と牛のストーリーは今も歴史を刻み続けています。

8522.大山道には牛が似合う
淡々と下りながら郷原を目指していきますが、途中の下郷原の集落でも大山道の標識の辺りから見る南の山並みの姿がなかなか美しかったり、その先にある地神も花に囲まれて華やかに見えたりと、ちょっとしたことに気づきがあります。

8523.南の景色もなかなかのもの

8524.花に囲まれた地神
郷原の集落に入れば、水路が音を立てて流れる脇に愛宕宮の小社があり、沿道には宿場町型の街並みが続きます。宿場町として栄えた延助ももうすぐだというのに、これだけの「町」があるのは木地師の集落が「郷原漆器」の生産に昇華し発展した証と言えるでしょう。

8525.愛宕様が見守る

8526.水路が流れる宿場町
郷原の集落にある古い民家の前には「牛つなぎ石」が残されています。大山道と言えば牛馬の道と言いながらも、現在ではそのことを実感できる場所は案外少なく、ここは貴重な存在です。牛のパワーに対し、これぐらいの石で大丈夫なのかと参加者同士で話したりもしますが、少なくとも人間が少々押したり引いたり蹴ったりするくらいではビクともしないくらいがっちり固定されています。また、少し先の民家の前でも裏字の「馬」が彫られた石やかつての石風呂が置かれていて、参加者の興味を惹いていました。

8527.牛つなぎ石

8528.逆さ馬の石

8529.石風呂
そんな注目ポイントがいっぱいの郷原集落の中でも最も注目を集めるインパクト満点のポイントはもちろん日本一の石鳥居です。田舎の風景の中に突如として現れる大鳥居に対し、感覚的には違和感を覚えるかもしれませんが、こうして大山道と郷原の歴史に触れてから見ると、約160年前には日本一の建築物を造れるほどの経済力がこの地にあったのだと論理的に納得できます。そして、それだけ大きな構造物がある下のスペースはちょっとした広場となっているため、今回はこの場所で大鳥居を見上げながら恒例の甘酒休憩となります。

8530.日本一の石鳥居の下で甘酒休憩
郷原の集落に続く旧道をしばらく歩き、集落を出れば延助の直前まで幹線道路のように整備された道路を歩きます。蒜山インター付近で米子自動車道をくぐれば、右側には蒜山三座がはっきりと姿を見せ、一行を迎えてくれます。同じ方向に道の駅風の家も見えるので、その方向の道に入りかけた参加者も数人いましたが、大山道歩きはもう少し続くので呼び戻します。

8531.旧川上村内のラストコース

8532.米子道をくぐれば蒜山三座がお迎え
延助の方へ坂道を下っていく途中には「右ハ新庄道 左ハ大山道」と刻まれた舟型地蔵の道標があります。この日の集合場所である道の駅風の家に来るのに、新庄方面から県道58号の野土呂トンネルを抜けて来たという参加者の方も何人もいらっしゃったようですが、こうして延助と新庄の古道のつながりを示す道標を見ると、新しい長大トンネルが貫通している県道58号も昔の大山道のルートの一つであることがよくわかります。その道標の先で脇の細道に入り、源流の村らしい細さになった旭川を渡れば、延助の宿場です。

8533.新庄方面を案内する地蔵道標

8534.旭川を渡って延助へ
延助の集落に入れば、東の交差点には「南無阿弥陀仏」と大書された道標があります。個人で来たときには肝心の道標としての内容をちゃんと読み取れていなかったのですが、「右 いせ道 左 くらよし道」と刻まれているそうです。「だいせんみちを歩こう」の方で既に触れていますが、延助の周辺は岡山県の中でも最果てと言える場所にも関わらず、多数の道標が残されていて、この道標のある交差点から西へ続く延助の集落自体も大山道では最大級の宿場でした。

8535.延助の道標の前で
釈迦堂を見て延助の集落を出れば、国道482号に合流する交差点のところで、会長による最後の挨拶があり、この続きは蒜山の地元グループ(「蒜山ガイドクラブ」様)によるウォーキングイベントがあることも案内されました。(私は既にその「大山古道トレッキングツアー」に参加してそのページを作成しているため、ご関心のある方はそちらをご覧ください)
そして、最後は300mほど国道を歩いて道の駅風の家に戻ります。今回は最後の「大山みちを歩こう会」ということで、リピーターとして何度も一緒に真庭の古道を歩いてきた仲間と会えるのも最後になるかもしれません。私も足守から大山道を歩き通されたという方のお話をお聞きするなど、この貴重な機会に参加者同士のコミュニケーションを取っておきました。

8536.「大山みちを歩こう会」はここまで

8537.道の駅に戻る
最終回となる「大山みちを歩こう会」は見どころも多いコースで、約10kmの道のりもあっという間に終わりました。それはこの1日のことだけでなく、真庭地域の東西軸である出雲街道に続き、南北軸である大山道ももう歩き通してしまったのかと感じました。

やはり一人や身近な仲間だけで歩くのではなく、地元の方と話しながら歩くというのがこのようなイベントの魅力です。それは単に知らなかったことを知ることができるというだけでなく、「同志」と言えるような参加者の方々がどのようなことをなさっているかをお聞かせいただける貴重な機会でもあります。もちろん、そういった「仕事の成果」のような話だけではなく、真庭市の小学生と一緒に歩けば、「シャジナッポ」(イタドリ)をかじったり、道端の花の蜜を吸ったり、私にとっては津山にいた小学校低学年の頃以来すっかり忘れてしまっていたようなことを思い出させてくれ、自然と顔がほころぶような体験もできました。

「出雲街道勝山宿の会」の皆様とはもう4年のお付き合いで、相変わらず元気に活動されている83歳の会長はじめ会のメンバーの皆様にお会いするのが私にとっても半年に1度の楽しみになっていますが、「大山みちを歩こう会」もこれで最終回。「出雲街道勝山宿の会」の皆様には、これまで本当に「お疲れ様でした」「ありがとうございました」と言わなければなりません。
「徘徊に行く老人グループ」などと自虐ジョークを飛ばされたりしますが、実際のところは若い人にはなかなかできないレベルのことを何年も継続して実行される、良い意味であきれるほど元気な方々です。今回は最終回だけに、そのノウハウの継承をどうするのか…というようなことも考えていましたが、こうした活動が彼らの元気の秘訣でもあり、生涯現役で楽しく活動していただけたらそれでいいとも思います。

「出雲街道勝山宿の会」では、まだ「歩こう会」を継続して実施したい意向はお持ちのようで、次回を検討されているそうですが、現時点ではまだどうなるかわかりません。会の活動はこれからも続くので、「歩こう会」が継続実施できるかどうかに関わらず、当サイトでは今後ともお世話になりたいと思いますし、こちらからもできる範囲のご協力をしていきたいと思います。
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