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つながる出雲街道を歩こう会 萬ノ乢〜江見(令和3年11月21日)
毎年2回の「つながる出雲街道を歩こう会」では10月に江見〜勝間田を歩いたばかりですが、11月には新型コロナウイルスの感染拡大の影響で延期になっていた萬ノ乢〜江見で開催されます。この「歩こう会」も平成24年(2012年)に初回が開催されてから10年目に突入、大山道も含めて17回目の開催で、鳥取県境に引き続き兵庫県境にも到達することになります。
また、個人的には初めて出雲街道を歩いた7年前からずっと気になっていた「出雲街道土居宿を後世にのこす会」の皆様にお目にかかれるのがとても楽しみです。

※なお、本文中では「出雲街道勝間田宿の会」「出雲街道勝山宿の会」「出雲街道土居宿を後世にのこす会」は、「出雲街道」を省いてそれぞれ「勝間田宿の会」「勝山宿の会」「土居宿を後世にのこす会」と記載させていただきます。
今回の集合場所は作東公民館です。前回のウォーキングのスタート地点だった場所であり、今回のゴール地点でもあります。この付近は前回にガイドされているので、参加者全員のチェックを済ませると本来の出発予定時刻より5分早くバスで土居へ向かいます。前回、時間がオーバーしたことも考慮されているのでしょう。道中では「勝間田宿の会」の会長から勝央美術文学館でこの日まで開催されている「下山家古文書展」の紹介もありました。

8901.集合場所は作東公民館
 
8902.バスで土居小学校へ
土居小学校の前でバスを降りると、青い法被を着た「土居宿を後世にのこす会」のメンバーに迎えられ、まず四ツ塚や安藤鐵馬の碑などがある広場に向かいます。ここでは作東公民館で配布された史料に加え、「出雲街道土居宿マップ」と「東をつなぐ 〜美作の先人たちの想い〜」という小冊子をいただきました。「東をつなぐ」の方は童話仕立てで姫新線の歴史を紹介したもので、平成22年(2010年)の「出雲街道 土居宿物語」に続く、子どもに地域の歴史を語る本です。
続いて「土居宿を後世にのこす会」の会長から挨拶があります。とてもたくさんのことを話したそうな雰囲気が読み取れましたが、始まったばかりのウォーキングイベントなので手短に終えられ、今回のガイド担当の方にバトンタッチし、四ツ塚などのガイドを受けます。

8903.土居の皆様に迎えられる

8904.四ツ塚のガイド
 
そして今回のクライマックスである国境の萬ノ乢へ歩き始めます。姫新線のずい道西口踏切は遮断機も警報機もない第4種踏切ですが、参加者の安全確保のため、列車の通過予定時刻表が掲示されていました。ここで人身事故ということなど万に一つにもなさそうですが、その最悪の事態も想定し、わざわざ時刻表を作成して掲出しているというのは関係者の安全意識の表れです。

8905.萬ノ乢へスタート
 
8906.踏切の安全に配慮
ずい道西口踏切からは道も未舗装になり、萬ノ乢に向けて峠道を上っていきます。おそらくここを訪れた人は「旧街道の雰囲気が残っている」という感想を持たれるでしょうが、この「旧街道の雰囲気が残っている」という表現は正確ではなく、「土居宿を後世にのこす会」の皆様が年に2回の草刈りを実施することで「作っている」ものです。萬ノ乢に到達する手前にある梅香塚にももちろん立ち寄ってガイドを受けますが、この峠道を歩いているときにお聞きした「土居宿を後世にのこす会」のお話は特にそのプライドを感じさせるものでした。

8907.晩秋の峠道を上る
 
8908.梅香塚のガイド
そうして到達した萬ノ乢では全員で集合写真を撮ります。勝山から始まったこの「出雲街道を歩こう会」も鳥取県境に続いて兵庫県境にまで到達、単に参加者として歩いた距離というだけでなく、市民有志のつながりが岡山県の出雲街道を横断したという事実を思えば、実に感慨深いものがあります。
ところで、萬ノ乢における兵庫県側の峠道は(稀にウォーキングイベントがあるときなどに草刈りがされるのみで)守る人がいない状態で、「土居宿を後世にのこす会」としても本当は兵庫県へ道の整備をつなげたいとの意思をお持ちのようですが、土居地区の範囲を越えたところへの活動はままならないようです。なお、兵庫県側で道が荒れがちなのは300mほどで、全く歩けないほど草に埋もれているわけではありません。兵庫県側へ歩きとおすことに関心を持っていたような参加者には私からフォローしておきました。
ここから土居小学校へ向けて同じ道を戻っていきます。ここでは「土居宿を後世にのこす会」のメンバーと会話させていただきましたが、「土居宿を後世にのこす会」は平成5年(1993年)の結成から28年も活動を続けていらっしゃるそうで、そのお話からは息の長い活動をしていくための秘訣とも思える内容もお伺いできました。

8909.萬ノ乢に到着

8910.集合写真を撮る
 
8911.折り返して下っていく
土居小学校の前にある案内図で土居宿の概要の説明を受け、土居宿へ進んでいきます。土居宿は旧街道時代にその場所に何があったのかを表示した看板が随所に設置されているのが特徴となっており、その看板はもちろん「土居宿を後世にのこす会」が設置したものです。このように歴史を語り継ぐ地元の取り組みが根付いていているおかげで、目を引くような古い建物はほとんど残っていない中でも随所に足を止めるポイントがあって、ガイドを受けることになります。

8912.案内図で土居宿の概要を解説

8913.東惣門のガイド
 
8914.随所で足を止めてガイド
土居宿のほぼ中央にある土居老人共同作業所が今回の昼食休憩場所となり、ここで弁当をいただきます。昼食休憩の時間は普段より長く取られ、食事の済んだ人は土居宿の自由散策やこの共同作業所の一室にある宿場町資料館の見学ができるようにされていました。
ここに入る直前、土居宿内の街道は一筋だけではなく、一部に「かわし道」が用意されていたことや平成21年(2009年)の台風災害によって失われた建物のことなどの説明があったことからその辺りを見に行く参加者が目立ちました。

8915.土居老人共同作業所(宿場町資料館)

8916.ここで昼食休憩
 
8917.かわし道を歩く参加者も
一方、宿場町資料館の方は「資料館」と呼ぶほどのものではなく、作業所の一室にいくばくかの展示がされているだけですが、それでも昔の写真を見ればかつての宿場町の雰囲気がよくわかりますし、宿の木版など、宿場町だったことを証明するような展示品もあります。各家庭で不用品として処分されていてもおかしくないようなこうした品々が集められているというだけでも、土居の人達の歴史を守る意識の高さを十分に感じられます。

8918.かつての土居宿の写真
 
8919.宿の木版
休憩を終えて最初に足を止めたのは本陣跡。現在ではただの民家にしか見えない完全な私有地ですが、それでも地元ガイドはその中に本陣時代の物や痕跡が残されていることなどを教えてくれます。やはり、長期間にわたって地元住民が歴史を語る活動を続けている場所だけに、看板の表示(それがあるだけですごいことですが)だけではわからない深い話もしっかり伝えられています。
そして、目立った建造物が残っていない土居宿のシンボルとして再建された西惣門に到着し、そのガイドを受けるとともにまた集合写真を撮ります。土居宿の特徴と言えばやはり東西の惣門であり、町を出て山家川を渡る橋も「門尻橋」という名前です。

8920.再建された西惣門

8921.ここでも集合写真
 
8922.門尻橋を渡る
山家川を渡れば土居の一里塚です。美作国の出雲街道の一里塚は標柱等が立てられているところも多いですが、松や榎は植え替えられているとは言え、当時の様式をそのまま残している一里塚はここが唯一のものです。このことについては「土居宿を後世にのこす会」の皆様も誇りにしているようで、この木のメンテナンスも会の活動として行っているそうです。土居宿について詳しいガイドをいただき、また、その市民活動としてのパワーも存分に感じさせてくれた「土居宿を後世にのこす会」の皆様とはここでお別れです。

8923.土居一里塚

8924.土居の皆様とお別れ
 
一里塚のすぐ西で国道に合流し、江見に向けてのウォーキングが始まります。旧街道は国道の少し左側(南側あるいは西側)を通っており、史跡も一部に残っているそうですが、民家の庭先という完全な私有地が含まれていたり、柵がされていたりするため、竹田地区では終始国道を歩きます。途中の竹田公会堂でトイレ休憩となります。

8925.しばらくは国道歩き
 
8926.旧街道は左の山沿い

8927.竹田公会堂で休憩
 
8928.左に旧街道が見える
上福原地区でも最初のうちは国道を歩き続け、作東インターの入口となる交差点から300mほど進んだところにある空き地で恒例の甘酒休憩となります。前回と同様、後半になって単調な道が続いて疲れかけたところという良いタイミングでの休憩です。その空き地から少し戻ったところからこの先に残る上福原地区の旧街道へ入っていきます。

8929.恒例の甘酒休憩
 
8930.ここから旧街道へ
仁ノ坂という地名が残るこの付近の旧街道は、最初こそゴミが捨てられたりして少し荒れた雰囲気ですが、その先は旧街道らしい姿を残した土道になります。ちょうどこの日は見事に紅葉した木も見られました。さらにその先では電気柵が道を塞いでしまっている場所がありますが、5年ほど前に私が歩いた時より低く、簡単に跨げる程度のものに更新されており、また、この日は明らかに電気を流していない状況だったので、跨いで進んでいきます。

8931.最初こそ荒れかけていますが…
 
8932.雰囲気が良い道

8933.低い電気柵を跨いで…

8934.集落内の舗装道路へ
集落に入って道路に舗装が復活すると、再び史跡が目につくようになります。8935の写真の地点では後方の丘が天王山城という中世の城跡ですが、その麓に大師堂と供養塔が背中合わせになっており、現在の道路は大師堂の前を、旧街道は供養塔の前を通っており、旧街道の方は通り抜けできないので、現在の道路の方を進んでいきます。
なお、帰り道にこの辺りのことが気になって一人で立ち寄ってみたところ、70歳くらいの地元の方が車を降りてまで案内をしてくださり、その方の若い頃までは旧街道は西へ通り抜けられたが、工事の際に土砂を捨てる場所となって塞がれてしまったこと、そのときまでは大師堂と供養塔ももう少し西にあり、移転して現在の形になったことを教えてくださいました。

8935.大師堂と供養塔
大師堂と供養塔のある辺りから、図らずも私がウォーキングの先導をすることになってしまい、しばらくの間写真を取り忘れてしまいましたが、ここから城近坂を下っていく途中には津山元標六里の明治の里程標もあります。坂を下るといったん国道に出て100mほど先でまた斜め左への坂道に入ります。この付近は地形が険しく、江見の街に入っていく寸前でかなり急な坂道を上ってまた下ることになります。坂の頂上には北向地蔵尊があり、ここでも見事に染まった紅葉が迎えてくれました。

8936.江見を目前にして急坂を上る
 
8937.北向地蔵尊
警固屋坂を下れば江見の市街に入っていきます。前回歩いていない部分ではありますが、江見については前回にガイドを受けているので、ここは淡々と歩いて作東公民館にゴールします。前回とは違ってほぼ予定時刻通りの到着となりました。

8938.警固屋坂を下る
 
8939.江見の街へ

8940.作東公民館に到着
 
前回に引き続き、美作市で開催された「つながる出雲街道を歩こう会」。今回は出雲街道の保存活用に関する活動の元祖と言える「出雲街道土居宿を後世にのこす会」の皆様が登場です。土居の歴史についての掘り下げ、そしてそれをまとめてのガイドと、いずれも一地区の市民活動とは思えないレベルのものだと感じました。

この「土居宿を後世にのこす会」の活動は「勝山宿の会」「勝間田宿の会」とは少し質が違うもので、30年近くも活動を継続されていることには驚かされますが、逆に自分達の守備範囲を超えた活動はあまりありません。有志の活動でありながら地域の活動としての性格が強いのでしょう。例えば、「土居宿を後世にのこす会」のメンバーの皆様からお聞きした中で、メンバーは現メンバーの知り合いで適性のありそうな人を誘って、適正人数をキープするようにしているという話をお聞きしました。このあたりは「村の役」に近いものがあり、人数がキープできる仕組みが活動の継続につながっていると言えます。

もちろん、これほどの組織で出雲街道に関する活動をされているのは土居地区くらいのもので、簡単に真似できるものではありませんが、こうした活動が行われている地域を訪れ、こうした活動をしておられる皆様と交流することに「つながる出雲街道」の大きな意義があると思います。地域の歴史を文字通り「後世にのこす」ためには、単に歴史の知識を知るだけではなく、地域の活動を知るということも大切です。

来年の「つながる出雲街道を歩こう会」はまだ決定はしていませんが、津山市内での開催を計画しているとのことです。「勝山宿の会」が最初の「歩こう会」を開催してから10年、いよいよ美作国のすべての区間を歩いたことになる見込みです。10年という時間の経過とともに、主催者も参加者も高齢化が進んでいますが、一方で最近では新たな参加者の顔を見ることも増えてきています。また、来年も「つながる出雲街道」の新たな展開が楽しみです。
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