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つながる出雲街道を歩こう会 乢根〜根雨(令和5年5月21日)
「つながる出雲街道を歩こう会」は昨年秋で岡山県内の出雲街道の全区間を踏破し、その活動に一区切りがつきましたが、その後、次は鳥取県日野町で開催するという知らせが入ってきました。しかも、主催となる「出雲街道勝山宿の会」、共催となる「奥日野ガイド倶楽部」は当サイトとしても7〜8年前から何度もお世話になっている団体であり、今回はそんな両団体が県境を越えて共にイベントを開催するということで、今まで以上に楽しみです。
当日は鳥取県の日野振興センターに集合します。「つながる出雲街道を歩こう会」として初の岡山県外開催ということで、参加者の数を少し心配していましたが、一般参加者は約60名、定員オーバーのためお断りした方も出ていたそうで、その心配はまったくの杞憂に終わりました。ちなみに岡山県からの参加者が半数強、鳥取県からの参加者が半数弱とのことで、これまで「つながる出雲街道を歩こう会」にいつも参加されていた方だけでなく、「奥日野ガイド倶楽部」のイベントでお見かけした覚えがある方もいらっしゃいました。

9101.鳥取県と岡山県の幟が並ぶ
各自で根雨駅前に移動した後、駅前で「出雲街道勝山宿の会」からの主催者挨拶、「奥日野ガイド倶楽部」からの今日のイベントの説明があるのですが、今回はそれだけでなく鳥取県の日野振興センター、日野町役場の代表の方からもご挨拶をいただきました。本音を言うと、市民レベルのウォーキングイベントにしては前置きが長すぎるとは思いましたが、今回の「つながる出雲街道を歩こう会」には地元行政としても無視できないだけの価値や意義があるという認識なのでしょう。

9102.根雨駅前で主催者・関係者からの挨拶と説明
根雨からバスで岡山県境の四十曲トンネルに近い乢根に移動し、イベントが始まります。今回は四十曲峠には行かず、ここから国道を下っていきますが、四十曲峠やかつて存在した乢根の集落についてガイドがあります。一方で、今日のコースは下り坂が続いて足に負担がかかるということで、みんなで簡単に準備体操をしてから歩き始めたのは「奥日野五山」の登山などを主催する「奥日野ガイド倶楽部」らしいところで、今までの「つながる出雲街道を歩こう会」にはなかったことでした。なお、四十曲峠への峠道は9103の写真中央の山道で、文字通り四十曲の道が江戸時代からの姿をそのまま残しています。

9103.乢根からスタート
この日の前半は3グループに分かれ、私は最後のグループの先導をお願いされました。他の2グループを先導するのは「奥日野ガイド倶楽部」のガイドなので、時折立ち止まってガイドをされており、私も乢根の墓地や廃屋、板井原橋から見える旧道の痕跡など、自分にできる範囲でガイド的な話をしながら歩きますが、歩道もない国道を歩く中で何より気になるのはやはり安全についてです。なお、この日は国道を走る自動車に対する注意喚起として、出雲街道のウォーキングイベントが行われていることを告知する看板が数ヵ所に設置されており、スタッフの車も後続車に歩行者の存在を知らせるための位置や速度で走行するようにされていました。

9104.今日はずっと下り坂
 
9105.板井原橋には歩道も路肩もなし
この日は真夏日に近づく暑さとなり、道が広くなっていたり駐車スペースがあったりする場所を選んで小休憩を取り、まめな水分補給をしながら歩いていきます。板井原トンネルを含むヘアピンカーブを下り、閉店したドライブインの脇には旧道が部分的に残っているので、足を止めてガイドがあります。写真を撮り忘れてしまいましたが、そこから少し旧道を入ったところには大日如来碑が残されているそうです。

9106.場所を選んでまめに休憩
 
9107.板井原トンネル
ヘアピンカーブを曲がり終え、スノーシェッドをくぐった辺りからは登坂車線が長く続くため、歩道がないとは言っても余裕があって歩きやすくなります。参加者の歩くスピードの差から前後の距離が開いてきましたが、国道を横断する際に最後部を確認してグループで一斉に横断し、板井原の旧道へ入っていきます。

9108.登坂車線があると歩きやすい
 
9109.板井原の旧道へ
板井原宿に入ると、大きな岩の下にある馬頭観音などを見ながら、家並みの中を下っていきます。周辺数kmに他の集落すらない僻地とは言え、道沿いに町並みを形成しているのはさすがに旧街道の宿場という感じです。

9110.馬頭観音
 
9111.板井原宿の街並み
この日の昼食休憩は板井原の公民館。しかし、公民館に参加者とスタッフ合わせて約70人が入れる広さはなく、約半数は外で弁当をいただきます。また、公民館のトイレは個室一つだけと思われ、休憩後の出発は約10分遅れとなりました。ガイドによると板井原地区の人口は現在30人ほど、まだ出雲街道が本来の機能を残していた明治時代には約250人だったそうなので、8割以上の減少となっています。しかし、山深く人口の少ない板井原宿であっても、四十曲越えを控えていることから、旧街道の時代には配置されていた馬の数など、宿駅としての一部の機能は根雨宿を上回る規模だったそうです。

9112.一部は外で昼食

9113.地元業者の弁当
 
9114.板井原宿のガイド
後半はグループを2つに変更して進んでいきます。板井原から約4kmは国道歩きとなり、相変わらず歩道がないところが多いので交通安全に気を付けながら進みます。9115の写真のように狭い歩道が進行方向左側にある区間もありますが、右側通行としたのは自動車と正対する向きで歩いた方が安全という判断でしょう。右側に見える板井原川の渓流が涼しげで、先述のように気温がかなり上がっていたこの日はその意味でも右側通行が正解でした。

9115.右側通行で国道を歩く
 
9116.涼しげな板井原川
金持の集落に入る直前には昭和30年代の小水力発電所である根雨小水力発電所があり、続いて金持景藤の墓(宝篋印塔)があります。現在、発電所の更新工事のため、立ち入りができない部分もありましたが、長く国道歩きが続いた後の久しぶりの見どころです。

9117.上に行けば金持景藤の墓
 
9118.金持景藤の墓
歩くスピードの差だけでなく、小水力発電所や金持景藤の墓の見学に寄る参加者もいたので、金持の旧道に入ったところで小休止して、再びグループが整った状態で集落に入っていきます。比較的大人数の「出雲街道勝山宿の会」の歩こう会と、少人数の「奥日野ガイド倶楽部」のイベントのやり方を組み合わせたような形です。ここからは旧道を通るか国道にもちゃんとした歩道が続くようになるので一安心です。

9119.隊列を整え直して
 
9120.金持の集落へ
金持の集落内では山沿いには旧街道と見て間違いのない道筋(通り抜けはできません)や六地蔵も見え、国道歩きが続いた今回のコースでは、板井原の集落内以外で初めて旧街道らしさがよく感じられる道を歩きます。

9121.山沿いに旧街道らしき道筋
 
9122.斜面に六地蔵
板井原川を渡るといったん国道に出て、金持神社の駐車場で甘酒休憩となります。「出雲街道勝山宿の会」の「歩こう会」では毎回恒例ですが、今回多かった山陰側から初めて参加された方にも大好評でした。ここでは長い休憩時間が取られ、札所まで土産を買いに行くこともできました。金持神社の土産を買いに行くのはやはり岡山県側の参加者が多い傾向でした。また、こうした場では参加者同士の会話も弾みますが、方言がかなり違っているのが印象的で、そのことも話題の一つとなり、まさに出雲街道が歴史的に担ってきた山陽と山陰の文化的交流がこの場で実現しているという感じがしました。

9123.金持神社駐車場で甘酒休憩

9124.集合写真も撮る
 
9125.金持神社札所
金持神社には立ち寄らず、再び淡々と国道を歩きます。少しずつ参加者にも疲れが出てくる頃で、先頭と最後部の差は開く一方ですが、金持神社からは歩道が途切れることなく整備され、下り坂も緩やかになってくるので多少は歩きやすくなります。国道180号に合流する高尾交差点付近で足を止めてガイドがありますが、現在は商店の一つもない小さな集落の高尾もかつては茶店などがあり、根雨から見て新見方面の道と津山方面の道が分かれる交通結節点として賑やかな場所だったそうです。

9126.国道歩きは続く

9127.高尾交差点
根雨宿入口の看板に迎えられて旧道に入ると根雨宿は間近です。大日如来の前では牛馬の道としての出雲街道のガイドがあり、その先の19体の石仏についても根雨にかつて存在した八十八カ所巡りの石仏の一部がここに移設されてきたものだというガイドがありました。

9128.根雨宿の入口

9129.大日如来

9130.移設されてきた石仏
根雨宿の入口の桝形は現在では正面に道が続いているため、違和感なく直進してしまいそうになりますが、ここでは斜め左が旧街道で、根雨宿の絵図を見せながらのガイドがあります。また、この交差点の側の石仏に「八十八番」の文字を確認したのは新発見で、先ほど八十八カ所巡りの話を聞いたおかげで、ここが根雨宿の一番上の地点であったと認識を新たにすることができました。

9131.根雨宿の桝形を斜め左へ

9132.八十八番の石仏
 
根雨宿の大きな魅力は水路で、単に街通りに沿ってきれいな水が流れているという景観だけでなく、水路のネットワークやそれを活用する工夫が今も読み取れる点が特色です。9133の写真は桝形から宿場の通りに入る地点で、水路が旧街道に沿って曲がっていて、現在の交差点の中央を通っていることが明確にわかります。そこからは道の東側に水路が続き、続いて目につくのは山の伏流水を水槽に溜めた水舟で、「出雲街道勝山宿の会」のメンバーもいい水だと賞賛していました。なお、この日は「奥日野ガイド倶楽部」のガイドから水を使用してよいとの案内があり、最後の人が責任を持って水道を閉めるとの約束事を守って水を出させていただいています。

9133.桝形に沿った水路
 
9134.水舟
大鉄山師であった近藤家の前ではたたら製鉄についてガイドがあります。時間の都合もあってこの日のガイドは短いものでしたが、「奥日野ガイド倶楽部」では「たたら街道」を歩いて都合山たたら遺跡に行くイベントなど、たたら製鉄関係のイベントも多数開催されています。

9135.近藤家とたたらの楽校の間で
根雨の街はまさに今日のクライマックスという感じで、ガイドにもさらに熱が入ります。本陣門(移設)や本陣跡では宿場としての根雨の話や参勤交代時のこぼれ話、近年まで銀行だった場所では根雨の近代化の話、また、小路にもそれぞれの意味があることなど、話題は尽きることがなく、このページではご紹介しきれないほどの内容です。「奥日野ガイド倶楽部」では「ねうブラ」という根雨単体の町歩きイベントも開催しており、まだまだ語り尽くせない部分はたくさんあることでしょう。

9136.移設保存された本陣門

9137.近代建築も根雨の魅力
 
9138.本陣跡
この日は伯備線の列車で来られた参加者もあり、終了時間が気になるところではありましたが、最後も北の桝形で細道に入り、旧権現神社の前で富籤場のガイドなどを受けます。

9139.北の桝形を曲がる
 
9140.旧権現神社前
ゴールは根雨駅前の日野町役場の駐車場で、両団体からの挨拶があり、時間に大幅な遅延はなくイベントが終了します。まだ未確定ではありますが、次回は間地峠を含む根雨から二部の間で「つながる出雲街道を歩こう会」を実施したいとのお言葉もありました。

9141.日野町役場(根雨駅前)でゴール
初の鳥取県開催となる「つながる出雲街道を歩こう会」は、岡山県からも鳥取県・島根県からも多数の参加者があり盛況のうちに終わりました。コースとしては国道歩きが大半を占め、板井原と根雨の宿場と金持地区を除いて史跡もあまり残されていない場所ではありましたが、それでも満足感の高い一日となりました。そして歩行環境も良くなく、参加者の顔ぶれも大きく変わった中、全員が無事に歩き通せたことが何よりです。

期待通りになってうれしかったのは山陰側からの参加者が多かったことで、これこそが「つながる出雲街道」だと実感しました。主催者レベルの交流、参加者レベルの交流は単に出雲街道のウォーキングイベントだけでない、将来へのつながりを生むことになるでしょう。例えば、岡山県でも鳥取県並みにたたら製鉄に関する顕彰活動が行われるようになったり、鳥取県でも岡山県並みに出雲街道の街並み保存や案内板等の整備が行われるようになったりするための第一歩ともなるものだと思います。

個人的.には「出雲街道勝山宿の会」「奥日野ガイド倶楽部」の県境を越えたコラボで「つながる出雲街道を歩こう会」を実現されたという事実だけで大満足でしたが、久しぶりに「奥日野ガイド倶楽部」のガイドを受けたことにも刺激を受けました。知識の深さだけでなく、そのトーク術やおもてなし精神、安全に対する気配りなど、プロではないのですがプロ意識のあるガイドだという認識を新たにしました。
私は一参加者ではありますが、次からの「つながる出雲街道を歩こう会」では事前に知識面の予習復習をしたり、当日の動きをイメージしたりして、(ネット上の)「出雲街道の案内人」として他の参加者の皆様により楽しんでいただけるような準備をして当日を迎えようと思いました。

次回はまだ未定ですが、今回と同様に「出雲街道勝山宿の会」「奥日野ガイド倶楽部」で来年に根雨と二部の間で開催できるよう計画中とのことです。県を越えてますますパワーアップした「つながる出雲街道を歩こう会」、「出雲街道を歩こう」も少しでもパワーアップして次回を楽しみに待ちたいです。
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