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第4回 出雲街道を歩こう会(平成27年4月12日)
平成27年2月末、真庭市の公式サイトにアクセスすると、トップページに「出雲街道勝山宿の会」主催の「第4回出雲街道を歩こう会」の文字がありました。地元で出雲街道の保存活用の活動をされている皆様の話を聞きながら出雲街道を歩けるという滅多にない機会なので、参加を即決しました。この日に歩いた区間は真庭市旧美甘村の田口から旧勝山町の勝山までで、本編では「17.勝山から神代へ」「18.神代から美甘へ」の一部です。なお、普段は「姫路から出雲へ」の方向で歩き、その方向でサイトも作成していますが、この日は逆方向です。
当日は勝山の町並み保存地区近くの勝山文化センターに集合、「出雲街道勝山宿の会」会長による簡単な説明を受け、バスで田口バス停まで行きます。大型の貸切バスいっぱいの参加者がいました。神代までの間、私は国道を歩いた区間ですが、早速国道を離れて田口集落への道を上がっていきます。

7001.田口バス停からスタート

7002.満開の桜に迎えられる
田口集落を回り込むように歩き、いよいよ山道に入っていきます。集落内も本来の街道は現在の道とは別の道だったそうですが、現在では道が切れてしまって歩くことができないそうです。これから入る山道の入口は一人では入るのに躊躇するような状態でしたが、それだけ調べてくれている人達と一緒なら安心です。

7003.田口コミュニティハウスを右へ

7004.よく見る看板に迎えられますが…

7005.みんなと一緒ならこんな道も安心

7006.念仏地蔵
山道に入って少し行くと、山の中に立派なお地蔵さんがあります。この日まで現在の国道が基本的に出雲街道を引き継いでいると思っていた身には、国道から少し離れたこのような山道に、「旧街道の証」があることに驚きを禁じ得ませんでした。

7007.晒し場
念仏地蔵のすぐ先には晒し場という史跡があります。これは「山中一揆」と呼ばれる江戸時代の美作国で最大の一揆のリーダー格の2名の首が晒された場所です。ちなみに処刑場は本編でもご紹介した新庄村の今井河原でした。
>拡大画像 晒し場の案内板

7008.山の中の旧街道
自動車が通行可能な林道と交差することすらない山道を行きますが、途中の案内看板には「旧国道」の文字があり、かつてこの山道が国道であったことにまた驚かされます。今では通る人もないこの道には、この日のイベントのために道を直してくださったことがわかる箇所もあり、「出雲街道勝山宿の会」の皆様に感謝です。

7009.旧国道って…!

7010.道を直してくださっています

7011.茶屋跡
今回のコースの最高地点に茶屋跡があり、石垣を築いて小平地が作られています。そして隣接して鉄問屋跡があります。自動車などという文明の利器がない時代に重量のあるモノを取引する場所がこんなところにあったことはにわかに信じがたいですが、美作国、伯耆国、出雲国の山間部はたたら製鉄の本場であり、その流通を支えたのが出雲街道であることの何よりの証です。街道があるからこそ、このようなわずかな田畑を作ることすらできなさそうな場所で商売をする人がいたと言えます。なお、茶屋があったというだけあり、近くには「若水の源」という清水が沸いています。

7012.石垣で小平地が作られている

7013.鉄問屋跡

7014.若水の源
>拡大画像 茶屋跡の案内板
旧美甘村南部は国道沿いでも新庄川の渓流が楽しめる場所ですが、旧街道でも二本松という場所では谷の景色が開け、国道沿いの延風集落を一望できます。その先には不動滝という滝もあります。なお、7016の写真は滝ではなく、小川の少し上流側にもっと大きな滝があります。

7015.二本松

7016.不動滝の下を通る

7017.石垣で築かれた街道
不動滝から下っていけば、八反集落で新庄川沿いの国道に戻っていきますが、旧街道はまだ山の中を行き、そこには高い石垣が積まれた街道を見ることができます。旧街道はまだ神代方面に続いているはずですが、その先は道に草木が生い茂り、崩壊している箇所もあるそうです。危険ですので、興味本位で立ち入らないようにしてください。

7018.ここから先は危険です

7019.電力施設からの上り口

7020.四季桜は季節外れ
八反から神代までは国道を歩きます。7020の写真は本編でもご紹介した四季桜ですが、写真右側のソメイヨシノが満開のこの時季には花をつけていません。神代地区内でも旧街道の道筋を歩き、昼食休憩場所の神代公民館に向かいます。

7021.菜の花畑と平成の道標

7022.神代の旧街道

7023.神代公民館

7024.銀しぶきのとろろ飯
この日の「出雲街道を歩こう会」は昼食付きで、神代の皆様が昼食を用意して迎えてくださいました。そしてその内容はありがちな弁当ではなく、地元特産の山芋「銀しぶき」のとろろ飯をメインとした地産地消メニュー。さらに勝山の耕作放棄地で育てられたという「ホンモロコ」の甘露煮もお土産で持たせてくれました。いい汗をかいた後、地元の名物を食べる、最高においしかったのは言うまでもありません。ご準備いただいた神代の皆様にもこの場を借りて厚く御礼申し上げます。
神代からは基本的に本編の道筋通りに歩きますが、神代から県道321号への道は、本編の2243の写真と見比べればよくわかりますが、前年11月には草に埋もれて歩けなかったところで、この日のイベントのためにきれいに草が刈られていました。さすがの田舎のおじさんパワーです。そして県道で杉ヶ乢を越えていきます。

7025.街道歩きを再開

7026.前年の写真と見比べよう

7027.杉ヶ乢へ

7028.見逃していた史跡もありました
寺河内から名草までは前年にも通った道ですが、7028の写真の念仏供養塚というそのときは見逃していた史跡もありました。ところで、前年にここを歩くことができたのも、新しい「平成の道標」が立てられていたこそですが、その道標を整備したのも「出雲街道勝山宿の会」の活動の成果の一つです。

7029.寺河内と

7030.名草の間のあの道です
勝山へ下っていく最終コースでは、前年には工事で通れなかった本来の街道の道筋を通ります。ここでは、「出雲街道勝山宿の会」の要望により、その工事の後に「出雲街道」のマンホールの蓋が設置されています。石段が印象的な鈴神社を見ながら、神橋に至ります。写真を撮り忘れましたが、神橋のたもとでまた地元の方々に迎えられ、甘酒をいただいて解散となります。

7031.「出雲街道」のマンホール蓋

7032.鈴神社
地元で出雲街道の保存活用の活動をされている皆様のイベントに初めて参加したこの「出雲街道を歩こう会」では、本当に貴重な体験をさせていただきました。前半の旧美甘村における山の中の旧街道の一部は、出雲街道を扱うどの本にも載っていないそうです。おそらく、当サイトがネット上でも初公開になる部分もあるでしょう。私自身、この時点で姫路から新庄までは歩いていましたが、この日を境に、以後の歩き方は以前と全く別のものとなり、これまで歩いてきた区間についてもその多くを歩き直すことになりました。
そして、何より心に残ったのは、このようなイベントを主催し、支援してくださった「人」です。60代〜70代になるような人達が無償で、この日のために下調べをし、汗を流して道を直し、地元の関係者と打ち合わせ、イベントの参加者を迎えるための準備がどれほどのものであったか、「出雲街道勝山宿の会」の皆様方はじめ、このイベントに携わった皆様方には感謝の言葉しかありません。出雲街道にある目に見える史跡だけでなく、そういった「地域を支える人々の力」も後世に伝えていかなければならないと改めて感じさせられ、このコーナーを作ることにしました。

なお、「出雲街道を歩こう会」はこの日が第4回目で、あと2回は残っています。当サイトをご覧になった方々にも、ぜひ次の機会にはご参加いただき、真庭地域の出雲街道を歩いていただけたらと思います。

※今回歩いたコースの多くは、日常的には人の通ることのない道を歩いており、国道や集落からも離れています。もし興味を持って歩かれる場合には、危険を感じたら無理をせず引き返すなど、自己責任において、くれぐれも安全に気をつけながら歩いていただきますようお願いいたします。
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