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出雲街道散策ショートコース(平成27年9月21日)
平成27年9月、初回の出雲街道歩きで終点の出雲大社まで到達していましたが、鳥取県日野町で心に残っていたのが「奥日野ガイド倶楽部」の皆様の活動でした。その「奥日野ガイド倶楽部」のウェブサイトをふと見ると、9月21日に出雲街道歩きのイベントをされるとの情報が掲載されていました。偶然にもその前日は家事用件で岡山県まで来ている日で、(そんなわけはないのですが)私を待ってくれているかのような日程。参加申込は期限ギリギリになりましたが、快く迎え入れていただけました。なお、この日のコースは本編では「23.根雨から二部へ」の一部です。
当日は根雨駅に集合します。集合時刻は伯備線の列車の時刻に合わせた8時20分。私はこの日はマイカーでしたが、私のように都市部から参加する者にとっては公共交通機関に合わせていただけるのはありがたい心遣いです。簡単な説明を受け、まずは根雨宿の本陣跡まで歩きます。

7101.根雨駅に集合

7102.まずは根雨宿を歩く

7103.本当の道筋はここを曲がります

7104.厨子造りの民家
7103の写真の地点から細道に入るのが街道の道筋だったそうで、その道に入ると、7104の写真の民家で「厨子造り」について説明を受けました。2階部分が低くなっているこのような民家は、庶民が2階建て以上の家を禁じられていた江戸時代に、倉庫という名目で2階を作ることは認められていたために、多く建てられることになった家の構造だそうです。あらためて当サイトを見ても、街道沿いにはこのような構造の家が多くあります。私もその構造の存在には気づいていましたが、「厨子作り」の名前と意味をこの日初めて知ることになりました。

7105.生田長江の碑
続いて日野町役場の裏手にある「生田長江の碑」に行きます。大正から昭和初期に思想家として活躍した生田長江は根雨の生まれで、根雨を見下ろす高台に記念碑があります。7105の写真は撮る角度を失敗していますが、この場所では(碑の左の枝の陰に)大山も見えます。
生田長江の碑から舟場橋にかけても旧街道の道筋を可能な限り正確に辿ります。根雨宿では看板の立っている国道の分岐点から舟場橋に至るまで「それっぽい道」がずっと続いているので、それが旧街道の道筋だと思って疑いもしていませんでしたが、駅や役場のある市街の北半分では東の少し高い位置にある細道が旧街道の道筋だったそうです。そして、舟場橋より下で再び日野川沿いに出て、日野川の渡しは舟場橋の上にあるという迂回コースになっていたそうです。このような細道は一般的な地図には掲載されていないので、ガイドがなければ到底歩くことはなかったでしょう。「根雨」という珍しい地名の由来についても教えていただきました。

7106.これが本当の道筋

7107.この細い細い裏道を抜けて
舟場橋を渡り、舟場の「古民家沙々樹」で小休止の後、本編でも歩いた間地乢への峠道にかかります。この日は気温も適度で、私の写真技術ではあまり表現できていないですが、いかにも田舎の秋らしい風景がとても心地よいです。歩いている間にも、昔は二部が日野郡で最も栄えている場所だったこと、平成になって現在の県道35号が開通するまで、根雨や舟場から二部へ行くには溝口を経由するしかなかったことなどを教えていただきました。

7108.舟場橋を渡る

7109.間地乢へ向けて上る

7110.美しい田舎の秋です

7111.出雲街道の標柱
間地トンネルの手前で県道に合流する地点で再度小休止をしますが、ここの出雲街道の標柱は舟場からここまでの県道の脇道を示すだけでなく、ここから本来の間地乢の峠道があったことを示すものだそうです。しかし、ほんの少し入るだけでもわかりますが、道筋も見えなくなっていて到底歩ける状態ではなく、この年の5月に雑草をかき分けて四十曲峠を越えた私でも「立ち入らないでください」というレベルです。本編でご紹介した古峠山への林道から山道に入り、間地乢を目指します。こちらの山道はこの日もとてもきれいな状態で、「昨日(草を)刈っておいた」そうです。

7112.古峠山への林道へ

7113.次の標柱から山道へ

7114.この日もきれいな山道です

7115.間地乢でみんなでお茶します
間地乢に着くと、茶屋跡でおやつタイムです。普通の市販のお菓子ですが、やっぱりこういう場所でみんなで食べると美味しく感じます。ちなみに、前から気になっていた間地乢からの眺望ですが、隠岐島は「秋の台風が過ぎて晴れた日の夕方に見える」そうです。この日は島根半島くらいまででしたが、いつかはその絶景に出会ってみたいものです。
ショートコースは間地乢で折り返し、ほぼ同じ道を戻り、この間にも補足的な説明を受けます。さらに「奥日野ガイド倶楽部」のメンバーが野生のキノコやアケビを採って私にも持たせてくれました。中途半端な知識でキノコ狩りをするのは非常に危険なので写真を掲載することはしませんが、地元の目が利く人が採ってくれたものならば安心です。一部の参加者の方は苔玉を作るための苔取りに夢中でした。

7116.道の構造についての説明

7117.ほぼ同じ道を折り返す

7118.舟場山たたら跡へ

7119.舟場山たたら跡
舟場山たたら跡でまた説明を受けます。この付近で多数見かける石垣で作られた平地はその一つ一つが何の跡であったかは明らかになっていませんが、それぞれの機能を持っていて、全体で「山内」を形成していました。余談ながら、特に史跡として指定されていないたたら跡では、「カナクソ」を持ち帰っても大丈夫なそうで、ここでも土産を持たせてくれました。

7120.うなぎ池
舟場の集落まで戻ると、県道35号の裏道にあたる旧街道のもう一つ裏道にある「うなぎ池」に立ち寄ります。、出雲街道が参勤交代の道として整備された江戸時代に、現在のものに近い醤油が普及し始めたこともあって、ウナギの需要は爆発的に増大しました。中海や宍道湖のウナギを輸送する途中、ウナギの元気を取り戻すために出雲街道沿線にはこのような小さな池が多数設けられていたそうです。このような工夫をしても京都や大坂に着く頃にはウナギの生存率は半分にも満たなかったそうですが、それでも大きな利益を上げることができたそうです。なお、ウナギの道は当サイトでご紹介している旧街道とは多少道筋が違っていたそうです。

7121.古民家沙々樹での昼食
「古民家沙々樹」に戻り、昼食となります。家の中も見せていただきます。古民家沙々樹は今回の出雲街道散策ショートコースでもご案内くださった「奥日野ガイド倶楽部」の主要メンバーの家であり、いわゆる民泊も「古民家体験」として受け入れてくださっています。ここでおにぎりと味噌汁をいただきながらしばし歓談し、根雨駅へ戻って解散となりました。この後、根雨宿のお茶屋さんで「続き」がありましたが、シルバーウィークで大渋滞が発生する日なので、この日のうちに帰らなければならない私はここで帰らせていただきました。
2度目のイベント参加となった「出雲街道散策ショートコース」もまた、出雲街道とその沿線地域を深く知るために非常に有意義な体験となりました。このコースは日野郡の観光パンフレットにも掲載されており、6月にもそれに基づいて歩いていたのですが、それでも新たな発見も多くあり、何より自分一人で歩いただけではわからない話をたくさん聞くことができました。このページでご紹介した話もその一端に過ぎません。
そして「奥日野ガイド倶楽部」の大きな魅力と感じたのはやはり「人」です。この日ご案内してくださったお二方は、それぞれ笑顔と語り口が素敵な方で、その郷土愛を強く感じさせながらも、ちょっと面倒臭く思うような「田舎のおじさんの悪いところ」を感じませんでした。県外からの参加者は私一人でしたが、日野郡内や米子市からの参加者の皆様にも色々声をかけていただき、終始アットホームな雰囲気でした。うまく言葉で表現できないのですが、こういう雰囲気こそが出雲街道の大きな魅力の一つです。当サイトは「昔の街道を新しい観光ルートとし、地域おこしのお役に立つ」ことを最終目標にしていますが、どの町でもこういう雰囲気で出雲街道散策ができるようになることが一つのゴールになるような気がしました。そして、この日の写真も後日現像して自宅まで郵送してくださいました。この辺りのフォローもとてもうれしく、感謝するばかりです。

「奥日野ガイド倶楽部」では、この「出雲街道散策ショートコース」を春季および秋季には基本的に毎月1回開催しており、さらに、溝口から二部を経て根雨に至る「ロングコース」も年数回開催しています。また、3名以上のグループであれば希望の日程での開催も可能とのことですので、ぜひお気軽にお申込みいただき、日野地域の出雲街道散策をお楽しみください。また、「奥日野ガイド倶楽部」の活動は出雲街道だけではなく、「奥日野五山」に登ったり、「古民家沙々樹」でのコンサート、民話を聞く会を開催されたりするなど、奥日野地域で幅広くご活躍されています。ぜひ「奥日野ガイド倶楽部」とともに奥日野地域の魅力に触れていただけたらと思います。
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