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第6回 出雲街道を歩こう会(平成28年4月3日)
3度目の参加となる「出雲街道勝山宿の会」主催の「出雲街道を歩こう会」。第6回は旧美甘村内を歩きます。昨年4月の第4回と合わせれば、一般的な地図に掲載されていない山道を多く含む勝山〜美甘における旧街道をすべて歩き通せたことになります。また、私がこの会の存在を知る前の3回を含めれば、真庭市内の旧街道をすべて歩いたことになるそうです。なお、この区間は本編では「18.神代から美甘へ」の一部です。
当日は美甘宿や美甘振興局にも近い美甘健康増進施設に11時に集合します。この日は午後から雨が予想されているので、参加者が揃ったところで早めに出発します。まずはこの日の目的地とは逆の西へ歩き始めます。これは昼食場所が「クリエイト菅谷」になっているためですが、しばらくは国道が旧街道の道筋のため、7402の写真の右側の山が「麓城」という山城の跡であることなどのガイドがありました。

7401.美甘健康増進施設に集合

7402.国道を西へ
新庄川を渡り、南岸の「クリエイト菅谷」に向かいますが、この付近も時期によっては街道の道筋があったそうで、新庄川を渡った先には後醍醐天皇ゆかりの「入夏清水」を案内する看板があり、「クリエイト菅谷」にも「後醍醐天皇ゆかりの里」と記載された看板がありました。そして「クリエイト菅谷」では、第4回のときと同じく「銀しぶき」のとろろ飯をメインとした昼食をいただきます。

7403.クリエイト菅谷へ

7404.クリエイト菅谷

7405.今回も銀しぶきのとろろ飯
昼食を終えるとバスで田口へ移動し、ここからは街道歩きです。とは言え、第4回の時にも触れましたが、田口の集落内の旧街道は歩ける状態ではないそうなので、しばらくは新庄川沿いの国道の旧道を行きます。

7406.バスで田口バス停へ

7407.川沿いの旧道

7408.湯谷の国道と旧街道
田口の次の湯谷バス停のすぐ南でいったん国道と合流しますが、ここでは旧街道の道筋にも合流しています。7407の写真では左が国道、中央の黒い服の参加者が歩いているのが旧街道、自動車が通っているのが湯谷集落への道です。写真ではわかりにくいですが、中央の旧街道と国道との境界はコンクリート、土手との境界は古そうな石垣です。
湯谷からは旧街道の道筋が健在です。屈曲する川沿いを行く国道とその旧道に対し、旧街道はショートカットしていくので、国道との高低差はどんどん大きくなり、ほどなく未舗装の山道となります。

7409.高低差が大きくなり

7410.そして山道へ

7411.頂上のゲートボール場
頂上にある小平地にはゲートボール場がありますが、写真中央に東屋があります。この日は今にも雨が降りそうな状況だったので、ここでの小休止はなく、写真を撮りに行けませんでしたが、新庄川の谷の眺望が優れた場所だと思われます。なお、旧街道の道筋は写真右の方に下っていく山道です。

7412.険しい地形の中の旧街道
北側の方が地形はやや険しく、良い角度かつ安全に撮れる場所がなかったので写真は撮れませんでしたが、断崖絶壁になっているような場所では、第4回でも見たような石垣で築かれた道も見られます。そして、道が崩れてしまっている場所があり、そこではこのイベントのために「出雲街道勝山宿の会」のメンバーで道を直してくださっていました。私のような都市部の人には忘れ去られている「昔の土木技術」は、田舎のおじさんたちには今も当たり前のように引き継がれているのです。メンバーの「幹線国道じゃけん直しといた」との言葉も誇らしげです。

7413.再生された旧街道
民家が現れると舗装された道路になり、再び新庄川沿いを行くようになります。7415の写真は寄水発電所で、この辺りでは現在の道路が参勤交代に利用された江戸時代の街道を引き継いでいますが、さらに古い時代の道は発電所の上を通っていたそうです。続いて真橋で国道の旧道に合流します。なお、真橋から奥に入ったところにある集落は「打火谷」といい、たたら製鉄に由来する地名です。

7414.民家が現れると舗装された道に

7415.寄水発電所

7416.真橋から見る美甘渓谷

7417.魚切
「魚切」の小公園で恒例となっている甘酒接待付きの休憩となります。この付近に公衆トイレがあったのですが、現在は閉鎖されてしまいました。「勝山から美甘・新庄・板井原を経て金持神社まで」の間はトイレ休憩をできる場所がごく少ないので、特に女性の方は十分に注意してください。

7418.しばらくの休憩

7419.山奥にも春の訪れ
美甘渓谷の眺めを楽しみながら国道に復帰すると、閉鎖されたドライブインがあり、対岸には「出雲嶽」と呼ばれる断崖があります。「出雲嶽」の名前は参勤交代の際に松江の殿様がこの地で休憩を取り、景色を愛でられたことに由来するものです。ドライブインもその景色を楽しみながら食事ができる場所に開店したという発想が容易に読み取れる「昭和時代の史跡」ということができます。

7420.国道に復帰

7421.出雲嶽
続く寄水集落に入る手前には「寄水滝」があり、その正面にある国道の柵が1カ所だけ切れている場所からまた旧街道に入っていきます。やや高い位置にある国道から旧街道に下りきったところにはケヤキの巨木がありますが、折れてしまっています。

7422.寄水滝

7423.ここを左へ

7424.折れてしまった巨木をくぐる
寄水集落へ続く道にはやはり旧街道らしく石垣で築かれた部分があります。わずか数軒のみの寄水集落を過ぎると、また国道を横断して首切乢への旧道に入ります。この日は関東以西の平野部の主要な桜の名所で満開を迎えていましたが、首切トンネルの桜はまだ全く開花していませんでした。

7425.ここにも石垣の道があります

7426.首切乢への道に入る

7427.首切乢
首切乢は本編でも触れている通り、戦国時代にこの地で合戦があり、多くの首が斬られたことに由来する名前です。ここは国道の旧道で、岩盤を切り開いて切通しが作られていますが、旧街道時代はもう少し高い位置を通っていたそうです。昭和時代に強引に切り開いた道は落石がひどく、車両は通行止です。このような道を歩くことに慣れた今では、徒歩なら通行可能と言うことができますが、足元には注意が必要です。

7428.崖崩れの脇をすり抜ける

7429.五輪塔
首切乢前後の旧道から国道に戻れば、美甘宿はもうすぐです。あとはこれまでの険しい地形が嘘のような穏やかな地形の中を淡々と歩いていきます。

7430.国道に復帰したら

7431.美甘宿はもうすぐ

7432.美甘宿の入口

7433.美甘宿
そうして美甘宿に戻ってきますが、先述のようにこの日は今にも雨が降り出しそうな天候のため、先頭集団がどんどん先に進んで行ったので、最後は前後の差がかなり開いてしまいました。私のいた集団にはガイドをできる人が不在だったので、「塚谷屋跡」や「旧街道が屈曲している箇所」で勝手ながら私の知識の範囲でガイドをさせていただきました。そして、予定時刻より約30分早く美甘健康増進施設に到着すると、雨が本格的に振り出しました。
「出雲街道を歩こう会」はここで終わりですが、解散後にメンバーの一人と一緒に美甘の「てまり」を見に行きます。美甘のてまりは近年になってまちおこしとして新しく始められたものではなく、地域の伝統工芸品です。それを活かした地域おこしをしようとする有志の活動が近年活発になってきており、美甘振興局に隣接して「てまりの館」がオープンしています。てまり自体は私の興味関心の外にあり、特に語れることもありませんが、それでも外部から先生を招いたりしながら、みんなで楽しんで「創作てまり」を作る活動は、今では地域外からも同好の人達が集まるようになり、「てまりの里」としての地域おこしの大きなパワーになっています。また、やはり地元の方たちは「出雲街道」についての知識も持っていて、「次回の楽しみ」にできるような旧街道の話もいくつかお聞きすることができました。

7433.てまりの館

7434.色とりどりのてまりが展示されている
>拡大画像 美甘のてまりの案内板
この「出雲街道を歩こう会」も3回目の参加となりました。「出雲街道勝山宿の会」の多くのメンバーには私の顔も覚えていただけたのもとてもありがたい話です。私自身も今回何よりうれしかったのは、第5回ではご病気のため参加されていなかった地元の歴史についての造詣も深い主要メンバーの一人が、元気に復帰されていたことでした。
始めにも書きましたが、一般的な地図に記載されていない山道が多い「勝山〜美甘」の旧街道を(現在は到底通行不可能な道を除いて)すべて歩き通せたことになり、初めて歩いたときの写真を中心に組み立てている本編が今となっては恥ずかしくなるほどの知識を身につけることができました。早めに再訪することにより、本編と「出雲街道マップ」を完成させて、この歩きにくい区間が歩きやすくなるようなサイトにしていきたいと思います。もちろん、それを成し得る状況ができたのも「出雲街道勝山宿の会」の皆様方のおかげで、感謝に堪えません。
そして今回も50名を超える参加者数、中には第1回からすべて参加している方もおられるそうで、また、今回は子どもを連れて参加されている方、若い参加者の姿も見えました。地域を支えたきた高齢の方々が中心となって、歴史ある出雲街道を保存活用する活動は少しずつ広がりつつあるように見えます。今回で真庭市内の「出雲街道を歩こう会」は完結しましたが、まだ第7回として新庄村を歩きますし、また、今後の展開として「2回目」や「大山みち」を歩く会も検討されているそうです。メンバーの皆様がいつまでも元気にこの活動を継続していくことを心より願います。

さて、次回は真庭地域で残された新庄村を歩く「新庄〜乢根(鳥取県日野町)」となることが決まっています。自治体が異なるため、まだ調整すべき事項が残っているそうですが、決まり次第、また、当サイトでもご案内したいと思います。

第7回出雲街道を歩こう会は、平成28年10月22日(土)に「出雲街道新庄宿町づくりの会」「出雲街道勝山宿の会」の共催で開催されることに決まりました。最終回にふさわしく四十曲峠(分水嶺)を越える出雲街道最大の難所を行きますので、ぜひご参加ください。
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