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出雲街道散策ロングコース(平成28年11月19日)
平成27年9月に「奥日野ガイド倶楽部」の「出雲街道散策ショートコース」に参加しましたが、今度は「ロングコース」の方に参加です。「ショートコース」の方に記載しましたが、「奥日野ガイド倶楽部」は奥日野地域において定期的に多数のイベントを主催されており、出雲街道とその沿線である奥日野地域についての知識はもちろんのこと、今回は運営側にも注目しながらご紹介したいと思います。なお、今回歩くのは「出雲街道の道のり」では、「23.根雨から二部へ」「24.二部から溝口へ」とほとんど一致しています。
前日午前の時点の天気予報では、鳥取県西部は降水確率80%や90%に達していたため中止も危惧されましたが、夕方の予報では、何とか開催できる程度の小雨で済みそうになっており、中止の連絡はありませんでした。当日はショートコースと同様、伯備線の列車の時間に合わせて伯耆溝口駅に8:00に集合します。参加者の自己紹介と簡単な説明とアップを済ませて出発しますが、この日の参加者は鳥取県西部から1名、島根県から3名、そして地域外の私と、少なめとは言え県外在住者が過半数を占める珍しいパターンでした。

7701.伯耆溝口駅に集合

7702.まずは溝口宿を歩く
伯耆溝口駅は溝口宿の街並みの中にあり、いきなり溝口宿を歩くことになります。溝口は古い街並みが観光地になるほどの街並みが残されているわけではありませんが、町割り自体は健在です。本陣の前後数百mは直線になっていること、水路が通っていること、古い民家は厨子造りになっていることなどのガイドがあります。また、溝口宿では7702の写真の民家のように、古い民家が通りに対して少し斜め向きに建っていることが特徴になっています。

7703.溝口郷簧と池田亀鑑の記念碑
溝口分庁舎は近代的なビルですが、この場所は旧街道時代には溝口宿の本陣があった場所です。参勤交代の道筋が新出雲街道に変わった後には高等教育機関である溝口郷黌となり、続いて源氏物語の研究で有名となった池田亀鑑が教鞭をとった溝口小学校、そして旧溝口町の役場となった歴史ある場所です。庁舎の北側には溝口郷黌跡および池田亀鑑先生の2つの記念碑があります。
>拡大画像 溝口郷黌之跡の碑、池田亀鑑先生学恩碑の案内板 
溝口第二ふれあい会館のところを右折していったん国道に出た後、鬼守橋で日野川を渡ります。鬼守橋の上で出雲街道の溝口の渡しに関するガイドがありますが、前方に鬼の巨大ブロンズ像、後方に鬼住山がよく見えるこの場所において、溝口の鬼伝説とたたら製鉄や日野郡の地域性の関連についても触れられます。
 

7704.溝口宿を出て国道へ

7705.鬼守橋でのガイド

7706.大守神社
日野川を渡った先にある大守神社は参勤交代の一行が隊列を整えなおした場所です。この日は鬼守橋辺りから雨具がなければ耐えられないほどの雨が降り出し、イベントの一行もここで足を止め、ガイドを受けながら雨宿りとなります。そうしている間にも、神社にしては珍しく道祖神があることを見つけ、旧街道らしさを再発見することができました。

7707.道祖神
大守神社からしばらくはよく整備された県道46号を歩いていき、写真を撮り忘れましたが、中祖の一里塚跡ではガイドがあります。現在ではこの辺りでは圃場が整備され、県道も一直線に伸びていますが、そのために消失した旧街道はジグザグになっていて、農地を少しでも多く取れるように配慮されていました。
古市に向かうため左折する地点にも石造物があり、よく読み取れませんでしたが、これも今回新発見した旧街道の証です。私はこの日の配布資料であるマップを以前にいただいていて、それに基づいて歩いてきていたのですが、それでも逆方向から歩けば視点が変わって新発見があります。古市の道標を右折して、日野川と野上川が作る河岸段丘上の集落へ入っていきます。

7708.平坦な県道を行く

7709.新発見した石造物

7710.古市の道標
心配された雨は上がり、古市の公民館で小休憩します。ここには力士塚があります。そのガイドがあるとともに、古市の集落の古い民家に必ずと言っていいほどある池についても質問してみました。このような古民家の池は鯉を飼ってタンパク源とするほか、洗い物等にも活用されていたそうです。
古市を出ると、父原の集落に下り、野上川を渡って県道を行きます。三部地区に入る少し手前からは旧街道の道が今も残されており、そちらを歩きたそうな参加者の方もおられましたが、ここの道はやや荒れていることもあり、この日はよく整備された現在の道路で三部へ入っていきます。

7711.古市公民館

7712.力士塚

7713.池が多い

7714.古市の集落は河岸段丘の上

7715.旧街道はあちらですが…

7716.二部地区の皆様にバトンタッチ
三部の新出雲街道分岐点では、二部地区の皆様が待ってくださっており、三部、二部のガイドをしてくださいます。「奥日野ガイド倶楽部」が全行程のガイドをされると思っていた私にはサプライズとなりました。早速、7717の写真の奥にかつて鋳物師が暮らしており、砂防ダムの建設時に多数の鋳物が発掘されたこと、また。7718の写真は二部宿の脇本陣の跡で、2000年の鳥取西部地震まではその建物が残されていたことなど、地元ならではの詳しいガイドがあります。

7717.この裏に鋳物師がいた

7718.二部宿の脇本陣は三部一区に

7719.三部の道標地蔵の解読大会
三部一区の長龍寺前には道標の役割を持った地蔵があり、参加者全員で解読大会です。私も以前来たときには右がどこを案内しているのか読めていませんでしたが、「外構、藤屋谷」と、この場所から右の道に入った先にある集落の名前が案内されています。
旧街道に最も近い道を行こうとした場合、三部一区の集落を出ると野上川を渡りますが、この日は三部の地蔵が指す先の外構の集落を遠くに見ながら外構集落の史跡や伝承についてのお話を聞かせていただき、一本南の橋を渡ります。そこから南下して二部宿に入り、傳燈寺でトイレ休憩となりますが、その間にも地元の皆様からお聞かせいただける史跡の話、昔話は尽きることがありません。

7720.外構集落を見ながら

7721.野上川を渡って

7722.二部の傳燈寺へ

7723.本陣足羽家を開けてくれています
そして二部宿の本陣である足羽家は普段は閉められていますが、この日は開けてくださっており、その中を見せていただきます。さらにお茶とお菓子も用意してくださっていて、特に手作りのお菓子がとてもおいしく、参加者にも大好評でした。もちろん、本陣を務めた家だけに、中も見どころの多い古民家であるとともに、立派な庭園を持っていることも一大特徴となっています。

7724.中も

7725.外も見どころいっぱい
二部では昨年にはなかった「森のようちえん みちくさハウス」ができていました。この日の活動は近辺を歩いて「巨大かるた」の題材を探すというものだったそうで、二部宿に入る直前と出る直前に子どもたちとすれ違いました。こうした活動が見られたことは古道歩きを通して、地域の自然や歴史・文化を後世に伝えたいと考えている私にとっても、この上なくうれしいことでした。
そして日野郡役所跡や二部小学校、二部神社の前を通って二部宿を出ます。一時期は二部が日野郡で最も繁栄していたことを偲ばせるこれらの場所でも地元の皆様の熱心なガイドがありました。

7726.森のようちえん みちくさハウス

7727.子どもたちが歩いて地域を学ぶ

7728.ここが日野郡役所跡

7729.二部の道標の解読大会
二部の道標でまたみんなで文字を読み取ってみます。その内容については「出雲街道の道のり」で紹介済なので省略しますが、この道標には大坂からスポンサーがついているのが大きな特徴です。ここで二部の皆様とはお別れして後半戦に入ります。
二部からは県道35号に入って根雨を目指しますが、車が高い速度で行き交うこの県道にはほとんど歩道が設置されておらず、旧道を歩く区間以外はこの手のウォーキングイベントには不向きな道です。案内役である「奥日野ガイド倶楽部」の方は笛で車の接近を知らせるという形で安全に気を使っておられます。この日はガイド役が一人だけだったので、このような道を歩くことに慣れている私も最後を歩くように心がけました。
間地の集落では旧道に入り、途中には立派な門を持つ古民家がありますが、その門に絡む草が見事に紅葉しているのが見られました。また、県道に復帰する直前では山側にカナクソが落ちているのを発見しました。後で立ち寄る舟場山たたら跡に比べれば微々たる量でしたが、これはすぐ近くにたたら場があった証拠です。

7730.この先は歩道なしの幹線道路

7731.間地集落の旧道へ

7732.紅葉に覆われた古民家

7733.うなぎ井手
続いて上間地の集落に入ると、ここには「うなぎ井手」があります。機能としてはうなぎ池と同じですが、ここは流れのある井手になっています。また、その向かいには「牛つなぎ石」があり、大山の牛馬市を目指す道でもあったこともガイドされます。いずれもこの日までの私は見逃してしまっていた史跡です。先述のカナクソといい、わずかな区間で出雲街道が「参勤交代の道」というだけでなく「鉄の道」「うなぎの道」「牛馬の道」であった証拠物件が次々に登場します。

7734.牛つなぎ石

7735.綱を通す穴が空けられたタイプも
上間地を出るとミカンをいただいて小休止し、いよいよ上り坂が本格化する県道を歩いていきます。途中には一里塚の跡があり、若い松が植えられていますが、これは地元の先生一人の力で植えなおされたものだそうです。
実は二部での歓待の結果、この辺りでは予定より約20分遅れになっていたそうですが、この日の参加者は健脚揃いのため、遅れを取り戻すべく速いペースで歩いていきます。そして予定では間地乢の茶屋跡で昼食となるところ、間地峠駐車場での昼食休憩となります。この辺りの時間調整はコースを熟知した上で、参加者が速いペースでも歩けることを読んだからこそできる一つの技術です。そのおかげで二部において、二部の皆様にもじっくりとガイドをしていただき、参加者もゆっくりと楽しむことができました。

7736.上りが本格化する前に小休止

7737.一里塚の跡

7738.昼食場所は間地峠駐車場
県道の間地トンネルの手前からいよいよ山道に入ります。この山道が非常にきれいなのは「出雲街道の道のり」でも「ショートコース」でもご紹介した通りです。ちなみに「奥日野ガイド倶楽部」でこの「ロングコース」を始められた当初は「根雨→溝口」の方向で歩いていたそうですが、初めに舟場山たたら跡や間地乢という見どころが終わってしまい、溝口に近づいた平坦コースで参加者がだれてしまいがちだったので、「溝口→根雨」の方向に改めたそうです。こうすることで間地乢がクライマックスになり、参加者が最後まで楽しめるようになったそうです。

7739.ここから山道です

7740.楽しくきれいな山道

7741.間地乢に到着
間地乢の茶屋跡に到着してまた小休止で、参加者全員の協力により、ここで遅れを取り戻すことができました。「奥日野ガイド倶楽部」のイベントでは定番なのですが、コーヒーが出てきてみんなで乾杯です。「奥日野ガイド倶楽部」のイベントでは、いつもクライマックスを迎える頃には参加者同士が友達のように親しく話せるようになり、和気あいあいとした楽しい雰囲気ができあがります。振り返れば時折小雨もちらつく曇天のこの日でも、中海と島根半島を見ることができました。
間地乢からは「ショートコース」と重複するので簡単に流しますが、裏返して言えば半日のイベント一つになるほど見どころたっぷりの道のりです。今回、変わった点としては鳥取県西部事務所が設置した案内看板が間地トンネルのすぐ南側の旧道合流地点に移設されていました。これにより、伯耆町側から入れば間地峠駐車場で、日野町側から入れば間地トンネル手前で、この近辺の出雲街道の情報盛りだくさんの案内看板が目立つ位置に立っていることになり、街道歩きをしている立場から見れば、地味ながらありがたい改善です。

7742.日野町側に出る

7743.案内看板が移設されていました
間地トンネルの南側から舟場への旧街道は、自然も豊かで途中に舟場山たたら跡もあるというとても楽しい道です。舟場山たたら跡ではこれを一番の楽しみに来ていたという参加者の方が、たくさんのカナクソを拾っていました。
舟場の集落へ入るところには獣害防止柵が設置されていました。しかし、電気柵ではなく最低限の知識と理解のある人なら正しく開閉できるタイプになっています。

7744.舟場山たたら跡で

7745.獣害防止の柵を開いて閉じて
うなぎ池に立ち寄ってガイドがあり、古民家沙々樹に立ち寄ります。ショートコースの時と違って中をじっくり見る時間的余裕がありませんが、参加者からも囲炉裏などを見て感嘆の声が聞こえてきます。そして舟場橋で日野川を渡り、根雨宿の最終コースに入ります。ここでも簡単なガイドしかありませんが、じっくりと根雨の街を見るなら「奥日野ガイド倶楽部」は「ショートコース」や「ねうブラ」というプログラムもご用意されています。

7746.うなぎ池

7747.古民家沙々樹

7748.日野川を渡るのは二度目
根雨駅に予定通りの14:15に到着し、参加者は14:27発の伯備線の列車で溝口へ帰っていきます。私はこの機会に「奥日野ガイド倶楽部」の皆様とのコミュニケーションを取るため、列車を一本落としますが、米子行の列車に乗った参加者の皆様に対し、手を振ってお見送りします。皆様も笑顔で手を振り返してくれました。
そして、駅のすぐ近くにある「日野軍★みらい創生デザイン会議」事務所に立ち寄らせていただきます。ここの主は「奥日野ガイド倶楽部」の一員にして、味のある水彩画を描く才能をお持ちの方です。鳥取・島根両県でメジャーな観光パンフレットである「山陰悠々絵図」の地図やイラストはこの方の作品であることを初めて知りました。真庭地域のパンフレットである「観光回廊真庭」もそうで、他地域からもこのような観光マップ制作のオファーが来るそうです。奥日野地域は全域が過疎地域と言っていいような場所ですが、このように志と能力を持った人々の力がそこにあることを実感しました。

7749.根雨駅でゴール

7750.メンバーの事務所
今回のイベントで私にとってサプライズだったのは、二部地区の皆様が出てきてガイドをしてくださったことでした。ガイドとしてのトークは「奥日野ガイド倶楽部」の皆様にしていただいた方が上手なのですが、それでも地元の皆様方が出てきてくれて心を込めて一生懸命にもてなしてくれたのは思い出に残ることでした。そして、それらの話の中には「奥日野ガイド倶楽部」の方も全く知らなかった内容も含まれていたそうです。「奥日野ガイド倶楽部」ではこのような形で地元の方々をさらに巻き込んでいって、イベントをより充実させていくとともに、地域をもっと盛り上げていきたいという思いをお持ちのようです。
このように、「奥日野ガイド倶楽部」の皆様はただ自分たちの持っている知識を使ってウォーキング等のイベントをされておられるだけではなく、本文中でもいくつか触れたような細部の工夫や改善を繰り返しておられるのが印象的です。その結果として、「奥日野ガイド倶楽部」のイベントは少人数ながらもリピーター率が極めて高くなっており、この日の参加者も2人が11月3日に開催された日野町後谷への「大人の遠足」にも参加されていたそうです。
もちろんそれをなしえるのも「奥日野ガイド倶楽部」の皆様のような「人」がいるからこそです。私も出雲街道に関する単純な知識では深まってきつつありますが、本当に学ばないといけないのは単純な知識ではなく、地域の魅力を上手に伝える情報発信力、訪れた人にリピーターになっていただけるほどのコンテンツを作り上げる創造力です。これからもそうした力を持つ「奥日野ガイド倶楽部」の皆様から多くのことを学び続けたいものです。

「ショートコース」にも記載しましたが、「奥日野ガイド俱楽部」では多種多様なイベントを開催しています。「奥日野ガイド俱楽部」のホームページその他で情報を得て、ぜひ実際にご参加いただくことで、「心に残る奥日野の一日を」(配布された資料の入ったオリジナルクリアファイルより)をお楽しみいただきたいと思います。
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