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第2回大山みちを歩こう会(平成29年5月14日)
   
「出雲街道勝山宿の会」の「出雲街道を歩こう会」には、これまで4回参加し、たくさんのことを学ばせていただきました。昨年秋にその「出雲街道を歩こう会」全7回が完結しましたが、次は「大山みちを歩こう会」が実施されることになりました。大山道歩きを本格化させた私にとっては、まさに渡りに舟です。当然ながら、何かを打ち合わせたわけではありませんが、考えることが似ているということは間違いありません。
「出雲街道勝山宿の会」では「出雲街道を歩こう会」の合間に、すでに一度「大山みちを歩こう会」を三坂峠の区間で開催されており、今回が2回目となります。今回は備前国(加賀郡吉備中央町)と美作国(真庭市)の境付近から、大山道と備中往来との結節点として栄えた鹿田まで歩きます。当サイトでも現在のところ取り上げる予定のない区間なので、このイベントに参加し、このページを作成することによって、当サイトでもこの後作成する大山道のページを補完させていただくことになります。

当日はその鹿田地区の「道の駅醍醐の里」に集合します。後醍醐天皇の伝説を持ち、日本の名木100選にも選ばれている「醍醐桜」の玄関口となる道の駅ですが、もちろん地域の魅力はそれだけではありません。道の駅のトイレの前には昨年(平成28年)に作られたばかりの「鹿田の文化財マップ」の看板が掲出されています。イベントの受付では資料とともにそのマップもいただきました。

7801.道の駅醍醐の里に集合
 
>拡大画像 鹿田の文化財マップ
「出雲街道勝山宿の会」会長による説明を受け、バスで出発地点の上山地区へ向かいます。上山へ上っていく県道66号は急勾配とカーブが連続し、大型バスでも無理なく走行できるレベルに整備されていると言っても、国道沿いの出雲街道とは全く違う雰囲気です。到着した場所には真庭市最初の「大山みち」案内看板があり、早速、その看板の場所で記念撮影をしている参加者も見られました。

7802.上山の大山みち看板からスタート
 
7803.辻の社と供養塔
この辺りは上山地区の中心と言えますが、旧街道の宿場町的な家並みも存在せず、多くの人が往来した古道という雰囲気がありません。しかし、スタート地点からほんの100mほどのデイサービス会館の前には古い道標が立っていて、「左 あしもり こんぴら道 右 うかん まつ山道」と刻まれています。このような場所も現在の岡山市方面、高梁市方面、そして真庭市、鳥取県方面の交通結節点の一つだったのです。

7804.上山の道標
 
しばらくは上山地区の小さな集落を縫いながら県道66号を北上します。上山地区の中心となる中郷南、中郷北集落、旭川沿いに出る県道333号(かなりひどい「険道」だそうです)が分岐する川平集落、そして後述する鰻田集落と続きます。どの集落も高い位置に家があり、川平や鰻田はその数も容易に数え切れる程度です。参加されていた真庭市役所職員の方から聞いた話ですが、この辺りには上水道は整備されておらず、得られる水量が不十分なので、毎日風呂に入ることのできない家が今もあるそうです。川らしい川のない山の上の小集落ならではの話で、その不便さから過疎化もかなり進行していそうな雰囲気ですが、県道沿いに上田南部地区(上山地区)の新しい案内看板も立てられています。鹿田地区もそうでしたが、地域の歴史を語り継ごうという現在の人々の取り組みは近年になって力強さを増しているように見えます。

7805.中郷北の集落
 
7806.川平の集落
>拡大画像 上田南部地区の案内板
鰻田の集落の北端に小さな窪地があり、ごく小さな池となっています。写真を撮り忘れてしまいましたが、鰻池と呼ばれるこの池には大山道ゆかりの大鰻の伝説が残されています。鰻田は足守(岡山)方面から来た場合、初めて大山が見える(ことのある)場所で、この付近が「初山」(ういやま)と呼ばれていたのが転じて「上山」という地名になったという説もあり、また、大山が見える場所には大山詣を代替する小さな社もあるという場所です。しかし、ここから県道を700mほど行ったところから入る本来の大山道は藪と化してしまっていて到底通行できないそうなので、ここで右折して別の道筋を辿ることとなります。

7807.鰻池の脇の交差点を右折
>拡大画像 鰻田の大鰻伝説の案内板
逆S字カーブを描くようにして少し上り、次の道路と交差する地点では、北北西に開けた谷の向こうに真庭市北部の山々の眺望が開けます。7808の写真では全くわかりませんが、現地では写真中央の山並みの先にうっすらともう一つの山並みが見え、それが大山から蒜山に至る山並みです。この日は黄砂のためか空気が澄んでいなかったので、大山は見えませんでしたが、尖った形状から烏ヶ山と思われる山がかすかに見えました。ここは条件が整えば大山が見える場所ということは間違いありません。

7808.最遠の大山ビュースポット
 
鰻田からは旧上田小学校と普門寺を目指します。自動車も通る道ですが、交通量は少なく、ほどほどにアップダウンしながら山の中を北東へ進んでいきます。カーブが多く、山々の合間から色々な方向に遠くの山並みが見え、参加者の中から「あれは那岐山(美作国と因幡国の国境の山)だろうか」などという会話も聞こえてきます。鰻田から2kmほどで田原山上地区の集落に出ます。

7809.津山市方面の山も見える
 
7810.田原山上地区へ
7811の写真の交差点を右折するとまもなく普門寺ですが、普門寺への立ち寄りは後回しにして、まずは昼食休憩場所の旧上田小学校に入ります。上田小学校は平成23年3月に閉校となり、閉校時の児童数はわずか2人だったという学校ですが、過疎地仕様のコンパクトな校舎は平成6年に建てられたもので、地域おこしの拠点として活用されています。
ここで、地域おこしに奮闘する地元の皆様手作りの昼食をいただきます。内容は地元の山菜がふんだんに使用されたちらし寿司と素麺がメインで、この日は確実に夏日になることから、そのような料理にすることを判断してご用意くださったそうです。最初に並んだ量は私には少なく感じましたが、「歩いて来られているし、お腹も空いている」ことも想定されていて、おかわりをさせていただけました。また、地域の名産品である「ごんぼみそ」も販売され、多くの参加者が購入されていました。料理がおいしかったのはもちろんですが、50人を超える団体に対し、そのあたりの気配りや声掛けもうれしく感じました。

7811.普門寺・上田小学校は右
 
7812.旧上田小学校

7813.小さいながらも新しい校舎
 
7814.地元の山の幸が並ぶ
休憩を終えると普門寺へ行きます。普門寺はこのような山奥の寺としては規模も大きく、歴史もある寺です。また、シャクナゲ、アジサイ、ソバ、シキザクラなど、四季折々の花が楽しめる「花の山寺」としても知られています。
ここではご住職がご案内をしてくださいました。また、普門寺には雨乞い祈祷に用いた龍の彫刻があり、今回は本堂を開けてその彫刻も見せていただけました。この辺りは吉備高原と呼ばれる岡山県中部のなだらかな山地の最北端に位置し、先述したように丘陵上の高い位置にわずかな田畑を作って暮らしている小さな集落が多数あり、水の確保に苦労されています。ご住職のお話の中には「垪和」という地名が何度も登場しましたが、美咲町西部に位置するその近辺は「棚田100選」に選ばれている大垪和西の棚田、小山の棚田など、河川から水を引けない棚田が非常に目立つ場所です。大山の牛馬市もそうですが、地勢や気候や産業や歴史や信仰は確実にリンクして、地域の伝統や文化を形作っていることを思い知らされます。

7815.普門寺のガイド
 

7816.築300年以上の仁王門
 
7817.庭園
>拡大画像 普門寺の案内板
普門寺を出ると7818の写真の地点を左折して笠場の作業道に入ることになりますが、ここで10人以上の参加者が誤って直進してしまうハプニングがありました。「出雲街道勝山宿の会」では主力メンバーが高齢化して10km近いウォーキングに帯同してサポートできるメンバーが減ってきており、その課題が露呈する形になってしまいました。私も間違った道に参加者が残されていないかの確認を手伝った後、比較的若いメンバーや参加者とともに反省点や課題を話し合いながら後を追いかけていきます。
しかし、この笠場作業道は森の中をほど良い下り勾配で直線的に鹿田地区へ下っていける道で、また、事前の整備で草が刈られたり落石が一部処理されていたりしているので道の環境も快適です。歩いて気持ちの良い道をチョイスして整備することができるのは「出雲街道勝山宿の会」の皆様の実力です。

7818.笠場作業道には左折ですが…
 
7819.落石のため車は通らない

7820.森の中を下る
 
作業道を下りきると鹿田地区の竹谷集落に入り、上山を出発して初めての田園風景になります。小さな荒神の社がある地点で恒例の甘酒接待です。特筆するほどの史跡でも景勝地でもない地点ですが、美作国らしい田舎の風景の中でおいしい甘酒をいただきながらのんびりできるのはとても贅沢な時間です。

7821.竹谷の集落内で休憩
 
ラストコースは竹谷、陽堂と鹿田地区内の集落を通っていき、いよいよ平地が広くなってくると、南に正覚寺や真光寺、北に勇山寺という寺院を見ながら鹿田地区の中心部に入り、県道66号(国道313号の旧道)に戻った鹿田公民館でゴールとなります。

7822.ここまで下れば田園風景
 
7823.鹿田まで下りました

7824.南には正覚寺と真光寺
 
7825.北には勇山寺
鹿田は最初に記したとおり、大山道と備中往来の結節点であり、街並みも宿場町の形をしています。その繁栄の跡は街並みの形だけでなく、先にご紹介した「鹿田の文化財マップ」に記載されているように、周辺に多数の文化財が集中していることからもわかります。中でも盆踊りの「鹿田踊り」は真庭市指定の重要無形民俗文化財で、「鹿田踊り保存会」が結成されて夏の夜を彩っているそうです。

7826.鹿田の街並み
 
一部参加者が鹿田公民館の少し北にある道標を見に行っていると聞いたので追いかけてみます。ここに来ていたのは昨年に「元禄道標と津山元標」という本を出された「美作地域歴史研究連絡協議会」に所属するメンバーで、道標に記された文字を正確に読もうとしたり、道標の大きさを測ったりされていました。昨今、地域の歴史をまとめて後世に伝えようとの活動が活発化しつつありますが、それらはこのような有志の方々のボランティアベースでのご尽力の賜物です。当サイトもその成果を活用させていただいているところが多く、その活動には心から感謝したいところです。

7827.ついでに道標の現地調査
 
今回のイベントでは、コースの半分以上で本来の大山道の道筋が歩けないという少し残念な状況でしたが、それでも普門寺という名所に立ち寄り、笠場作業道という自然豊かな道も通って、楽しいウォーキングコースが作られており、そのほとんどが私も初めて訪れる場所でしたが、大いに満足することができました。また、もはや毎回当たり前のようになっていますが、地元の方々と連携して地産地消の昼食や甘酒が出されたり、歩くコースを事前に整備されたりしていることなどは、決して簡単にできることではありません。「出雲街道勝山宿の会」の皆様、そのウォーキングイベントにご協力いただいている地元の皆様には頭が下がります。
一方で、笠場の作業道に入るときにミスコースした参加者がいたように、運営メンバーの高齢化に伴い、当日の現場で十分な目配りができていないとの課題も見えました。次回以降に参加する際には、そのあたりを現地で少しでもフォローできるようにしたいと思います。

もう一つ、とてもうれしかったのは、おそらく「第6回出雲街道を歩こう会」にも参加していたと思われる子どもが小学3年生になり、普門寺で寺の「卍」マークを見つけて地図記号の話をしていたことで、スマホで「地理院地図」でその子の小学校付近を見せながら、一緒に少し地図で遊びました。また会えたならもっともっと楽しんで、そして学んでもらえるようにしたいものです。小さい頃のこういった体験は必ず未来につながります。

長らく地域を支えてきたご高齢の方々がこのようなすばらしい機会を提供してくださっていますが、全ては私のような現役世代を育て、その世代がまた地域の子どもたちを育てる、そのためにあるような気がします。普門寺で子どもと遊んだこと、笠場作業道で比較的若い参加者同士で話したこと、そんな体験を今後に生かしていかなければならないと思います。

なお、「出雲街道勝山宿の会」のイベントの新シリーズ「大山みちを歩こう会」は、「上山〜鹿田(今回)」「鹿田〜開田」「開田〜久世」「久世〜釘貫小川(実施済)」「釘貫小川〜藤森」「藤森〜延助」の全6回を予定しており、今後、真庭市を縦断していきますので、どうぞご参加ください。
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