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春の大山古道トレッキングツアー(平成29年5月21日)
   
大山道の道筋は岡山県側から来ると、鳥取県を目前とし、大山道の宿場として栄えた延助で一般的な地図上から消えてしまいます。ここから大山に近づくまでは地元のガイドがないと、古くからの道筋を辿るのは困難です。このイベントに参加する前の私にとっては、鳥取県側は「奥大山古道ウォーク2016」に参加してかなりの部分をクリアしたものの、岡山県側は謎に包まれたままでした。その区間を埋めてくれるのが「蒜山ガイドクラブ」が開催する「大山古道トレッキングツアー」です。半年に一度開催されるこのイベントにはぜひとも参加しなければなりません。

当日の集合場所になる徳田コミュニティハウスは、郷原方面から来た道路が国道482号に合流する地点であり、延助の宿場の入口にもあたる場所です。また、ここには「大山みち散策コース案内図」の看板があり、今日歩くコースはここに記されたコースに一致しています。まずは延助の集落の北側をバイパスするように通っている国道を歩き、延助の集落の中央付近から北に入ります。宿場町である延助を西に出てから北に入ると思っていた私にとっては意外な感じがしましたが、古道の証としてこの交差点のすぐ東側には念仏供養塔があります。

7901.徳田コミュニティハウス
 
7902.この地点で右へ
>拡大画像 大山みち散策コース案内図
150mほど北上したところの分岐は右へ進み、地蔵堂と墓地を過ぎると、道の舗装がなくなり、山道に入ります。

7903.もう一度右
 
7904.舗装は墓地のところまで
舗装がなくなると、細い細い谷を上っていきます。ここからは川上坂と呼ばれる坂道ですが、細い川の流れがそのまま道になっているような形になっていて、歴史ある古道とは思えない状態です。大きな石が地面に転がっており、それに足を取られたり、後ろの参加者の方に蹴り落としたりしないように注意して歩きます。そのような道のため、「蒜山ガイドクラブ」でも倒木を利用した橋を架けたりするなどの整備をしてくださっています。また、大雨が降ると鉄砲水でせっかく整備したものも流されてしまうそうで、繰り返し保全活動をして歩ける状態をキープするように努めておられるそうです。その活動がなければ、とっくに古道が完全に消滅してしまっていたことでしょう。

7905.石が転がる細い谷の坂道
 

7906.保全活動をしてくださっています
 
細い川が姿を消し、急な上り坂がひと段落したところに文政12年に建てられた道標があり、そこで足を止めてガイドがあります。この道標は「左ハむら道 右ハつ山いせ道」と刻まれており、大山道の道標にしては珍しく「伊勢」というかなり遠くの地名が案内されています。大山道は山陽地方の人々が大山に行くための道というだけでなく、山陰地方の人々が上方、そしてお伊勢参りに行くための道としても利用されていたということがわかります。一方、左の「むら」は延助を差しているそうで、確かに道らしきものが分岐していることはわかりますが、現在では到底歩けるような状態ではありません。

7907.津山伊勢道標
 
「津山伊勢道標」からは勾配も緩やかになり、山道としての状態も良くなります。切通しになっていたり、土が盛られたりして人工的に造られた道だとわかる場所も見られ、また、たくさんの牛馬が通った証拠として道が少しくぼんでいることも大山道らしい特徴です。

7908.美しい山道に
 
森を抜けると鳩ヶ原と呼ばれる尾根の高原地帯に出ますが、平地が広く、これまでの道との変化のあまりの大きさに驚かされます。鳩ヶ原に出たところでは右後方に蒜山三座がよく見えます。

7909.振り向けば蒜山三座
 
鳩ヶ原の高原地帯は、久世から県境までの大山道沿いで最も広いのではないかと感じるほどの平地です。目立つのは大根畑で、蒜山高原と言えばジャージー牛が有名ですが、蒜山大根などの野菜の一大産地でもあります。

7910.大根畑の中を行く
「蒜山ガイドクラブ」のガイドツアーは歴史散策というより自然散策のメニューが多いためか、この日の参加者も自然の中を歩くことを楽しみにしている方が多く、沿道で見つけた特徴的な草花についての会話も弾みます。鳩ヶ原ではワラビ採り、後の山の中ではゼンマイ採りも同時に楽しみます。このような空気も水もきれいな場所の山菜はきっと味も最高でしょう。なお、採る場所や採り方についてちゃんとわかっているような人達と行動を共にしているからこそ山菜採りができるということは補足しておきます。当然ながら山菜を何でもかんでも採って良いというものではありませんので、地元以外の方、初心者の方はこのような機会を活用するようにしてください。

7911.山菜採りも楽しむ
 
鳩ヶ原の平地では多少の屈曲はありますが、交差点を曲がることはなく、概ね西北西に進んでいきます。一貫して左前方(南西)に見えるのは三平山です。

7912.左前方に三平山
 
鳩ヶ原の高原地帯を歩く区間の真ん中あたりに「野中地蔵」があり、ここでも足を止めてガイドがあります。天明八年の建立で、天明の飢饉で亡くなった人を供養するものだそうです。

7913.野中地蔵
 
>拡大画像 野中地蔵の案内板
鳩ヶ原の高原地帯の後半ではいよいよ大山が大きく、そして鮮やかに見えてきます。平坦で見通しが良いので、この道が直線的に大山を目指そうとしていることがよくわかります。

7914.はっきり見える大山を目指して
 
鳩ヶ原に入ってから辿ってきた道路の舗装がなくなる地点で右折してまた山道に入ります。こちらは普通の山道という感じですが、草がやや伸びている場所、道筋がややわかりにくい場所もあります。要所には案内看板が立てられていますが、個人で訪れるなら道を間違えないように注意が必要です。

7915.ここを右折
 
7916.一旦下る

7917.山道を行く
 
この日のコースの中間点を少し超えたくらいの場所で休憩し、ウォーキングを再開するとほどなく鳥取大学の演習林に入ります。別に柵などのはっきりした境界があるわけでなく、普通に入っても構わないのですが、看板に記された注意事項は守らないといけません。

7918.森の中での休憩
 
7919.鳥取大学演習林へ
>拡大画像 鳥取大学演習林内の注意事項
鳥取大学の演習林に入るとまもなく土塁が築かれています。現在の県境はもう少し先ですが、歴史的に岡山県側と鳥取県側の管理する土地の境界線になっていたと思われます。

7920.土塁を越える
 
演習林内の作業道に出ると右折、少し北に行くと、また道標地蔵があります。「左 大山道 右 やま道」と刻まれています。建てられたのは野中地蔵と同じ天明8年で、そのくらいの時期に大山道の整備が進み、往来が盛んになったことが推測できます。

7921.作業道に残された道標地蔵
 
道標地蔵を左折してしばらく作業道を歩き、7922の写真の地点からまた山道に入ります。さらに300mほどで川上地蔵に立ち寄ります。

7922.作業道からまた山道へ
 
7923.川上地蔵に立ち寄り
大山道沿いにある川上地蔵は、かつてあった竜王池の側に建てられた地蔵で、お堂も建てられています。この竜王池は岡山方面に流れる旭川の源流の地の一つで、大山道を利用して大山に行く旅人も旭川流域の人が多かったので、その水恩に感謝して建立されたものです。

7924.川上地蔵
 
>拡大画像 竜王池跡の案内板
川上地蔵からもうしばらく上ると、周囲は人工林に変わります。人の手がよく入って状態はきれいなのですが、道筋がとてもわかりづらくなり、枝に取り付けられたピンクのテープを見つけながら進んでいくことになります。ガイドリーダーの方でさえも(大勢に影響ない場所ではありましたが)一瞬道を間違えかける一幕もありました。一人では正しい道を選択して歩くことはできなかったでしょう。
今一度作業道に出ると左折し、またすぐに右折で山道に入っていきますが、作業道に接続している場所では案内看板が設置されているので、そこでは道を間違える心配はありません。

7925.道がよくわかりません
 
7926.切られた枝が道を隠す

7927.また作業道に出る
 
7928.ここを右折
7928の分岐を入るとすぐに「大王の松」の巨木があります。すでに枯れてしまっていて、そう遠くないうちに折れてしまいそうな状態ですが、森の中でもひときわ存在感のある松で、旅人にとっては目印になっていたことでしょう。
今日のイベントではここで昼食となり、みんなで弁当を広げます。参加者は十数人でしたが、これくらいの人数だと持参のおかずを分け合ったりしながら和気あいあいとした雰囲気ができあがります。私も「奥日野ガイド倶楽部」のイベントに参加した経験から、「そういう雰囲気」になるだろうと想定していたらまさにその通りでした。また、ここで私が復習のために開いていた「昭和40年代にたどった大山道」に興味を示された方も何人もいらっしゃいました。

7929.大王の松
 

7930.ここで昼食タイム
 
>拡大画像 大王の松の案内板
大王の松を過ぎれば今日のコースはゴールに近づきます。7931の写真の地点でアスファルト舗装の道に出ますが、これは岡山と鳥取の県境とほぼ一致した林道です。この付近から鳥取県側の下蚊屋に下っていくのが本来の大山道の道筋ですが、西の森の中にそれらしい道を見つけることはできませんでした。ガイドの方によると、県境から下蚊屋への古道は歩けるような状態ではないそうです。

7931.古道歩きはここまで
 
7932.県境の道を下る
舗装された道路を南へ下り、国道484号の内海乢(県境)に到着します。この地点は下蚊屋に下っていく国道とその旧道、さらに江府町俣野方面の県道113号につながる林道の交差点でもあります。ここでこのイベントは終了ですが、ここから下蚊屋に下っていく途中から見る大山の眺めも見事です。

7933.終点は国道484号の内海乢
 
最初にも書いたとおり、一般的な地図に記載されていない道を多く含む区間を歩くこのイベントは、大山道を歩き通そうとしている私にとって、その道筋を知るために貴重な機会になりました。一人で歩こうとしたら間違いなく道に迷って引き返す羽目になったことでしょう。
そんな道ですが、いくつもの史跡が残されているというだけでなく、川上坂の始まりの谷の道、鳩ヶ原の高原の道、鳥取大学演習林の森の道として幾度も表情を変える非常に楽しい道でした。鳩ヶ原の農地の部分を除き、放置すれば自然に帰ってしまうようなこの道を守り、活用してくださっているのが「蒜山ガイドクラブ」の皆様で、その活動には感謝の言葉しかありません。歩くペース配分も参加者の子どもにもついていけるようにされるなど、ウォーキングイベントとしての運営もとても上手に感じました。

先述したように、今回のイベントでは「自然散策派」の参加者が主体でした。「歴史散策派」の私とは主たる興味関心は違っているでしょう。しかし、こうした場ではその間に壁があるわけではなく、終始楽しい雰囲気でイベントが進んでいきました。私は草花のこと、山菜のことなどたくさんのことを教えていただいて、少しずつでも山の植物のことを覚えていけばもっともっと田舎の古道歩きは楽しくなると思いましたし、一方、参加者の中にも私が大山道を歩きつつあること、その大山道の歴史についても興味を示してくださった方もいらっしゃいました。
もう一つこの日のイベントで面白かったのが、鳥取県からの参加者が多く、鳥取県の「○○だ」という言葉と岡山県の「○○じゃ」という言葉の両方が飛び交っていたことでした。岡山県真庭市の蒜山地域や鳥取県日野郡は歴史的に山陽と山陰の文化が交じり合う場所で、この日のイベントがそうであったように、真庭市のイベントに鳥取県や島根県の参加者が、日野郡のイベントに岡山県や広島県の参加者が増えてきたら、大山道や出雲街道を介した歴史的な山陽と山陰の交流の再現というと大げさかもしれませんが、より有意義な場になるになると思いました。
「自然派の人」と「歴史派の人」、「山陽側の人」と「山陰側の人」、どのような組み合わせでも楽しめるのが大山道であり、この「大山古道トレッキングツアー」という場だと言えると思います。

「蒜山ガイドクラブ」では、蒜山において様々なガイドツアーを実施されています。主なカテゴリーとして「登山体験」「滝巡りリバートレッキング」「自然体験観察」「史跡・文化財巡り」「冬体験」があり、さらにそれ以外の体験イベントも開催され、体験型で蒜山の魅力を余すことなくご案内してくださいます。ぜひ「蒜山ガイドクラブ」の公式サイト等で情報を得て、蒜山の散策をお楽しみいただけたらと思います。
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