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第3回大山みちを歩こう会(平成29年10月29日)
「出雲街道勝山宿の会」の「大山みちを歩こう会」、第3回は真庭市旧落合町の開田から鹿田までを歩きます。前回は快晴でしたが、この日は台風が接近していて、間違いなく雨が降るという予報でした。前日夕方に会長に連絡したところ、予定通り開催するつもりとのことで、当日は前回同様、鹿田地区の「道の駅醍醐の里」に集合します。
現地ではやはり雨が降り続いており、毎回50名以上を数える参加者もキャンセルが多く、40名を下回っていました。道の駅の中の一室で弁当をいただきつつ説明を受け、バスに乗って開田に向かいます。

8001.雨の道の駅
 
8002.弁当をいただいてスタート
今回のスタート地点は中国道の落合インターの1.3kmほど北の国道313号沿いで、すぐ北にホテルやボウリング場もある場所です。バスを降りた地点には、地神や地蔵堂に加え、大山みちの案内標識、そして明治12年(1880年)の道標があります。現在では全国どこででも見られるような平凡の国道沿いの風景ですが、かつては重要な交通の分岐点であったことがわかります。 

8003.道標のある交差点からスタート
 

8004.付近にある地蔵堂など
 
8005.左ハ岡山道 右ハ木山道
斜め方向に分岐した国道から少しずつ離れ、上市瀬地区に入って山沿いを南下していきます。特筆するほどの史跡は見られませんが、美作国らしく古くからの集落は山沿いにあり、道に細かな屈曲があったり幅員がところどころで狭くなったりするのは古い道筋らしいところです。新興住宅地の白梅団地方面に向かう新しい道路も斜め方向に横断します。

8006.古い道筋の雰囲気
 
8007.新しい道路も斜めに横断
開田から落合市街までの間、国道313号沿いの平坦地の水田に水を引くためと想像できる水路にずっと沿っていきます。上市瀬地区と落合市街のある落合垂水地区の間には丘陵があり、中国道も通っていますが、それらにぶつかってもなお水路と古い道筋は一緒に丘陵沿いを南下していきます。

8008.一貫して水路沿い
 
8009.水路とともに中国道をくぐる
中国道をくぐると道沿いに民家が見られなくなり、丘陵がすぐ側まで迫り、自動車も通れない道になります。地元の参加者の方によれば、今はほとんど利用されていない道だそうですが、それでも落合インターが整備されたときに道を残す判断がなされたということは、少なくとも昭和40年代までは地元に欠かせない道として生き続けていたと考えることができます。

8010.落合インター裏の丘陵に沿って
丘陵がいよいよ旭川と国道313号まで迫る地点でいったん国道に出ますが、またすぐに丘陵沿いの細道に入ります。狭い平地を少しでも多く水田にするため、道と集落を山沿いに建設した美作国らしさがよく感じられます。

8011.いったん国道へ
 
8012.斜め右方向の細道に入る
落合市街に近づいても、丘陵にぴったり沿った状況に変わりはありません。土砂災害の危険性もある急傾斜地ですが、墓地が多く、本覚寺という寺もあり、その下には安永9年(1781年)の題目塔もあります。

8013.急傾斜地のすぐ下を通る
 
8014.題目塔
旧落合橋の交差点から堤防を下ってきた旧国道313号と接する地点あたりからはいよいよ落合市街に入りますが、市街に入っても丘陵沿いを行き、道は現在の市街より一段高くなっています。古い道筋はこのまま丘陵沿いを行きますが、旧落合支局に移設されている道標に立ち寄るため、市街の中心部近くで左折して米沢町の商店街に入ります。久世と同様、商店街はアーケードになっていて、現在は廃れてしまっているものの昭和時代の落合の中心街と呼べる場所です。

8015.落合市街に入る
 
8016.市街より一段高い

8017.米沢町商店街
 
旭川沿いにある旧落合支局の敷地内には道標に立ち寄り、そこでガイドがあります。移設のため方向が合っていませんが、「右 木山道 備中道 川上 雲伯道 川下 備前道」と刻まれています。「川上」「川下」という表記の仕方は珍しく、備中川が旭川に合流する「落合」らしいところで、陸路だけでなく水運の交通拠点として落合が繁栄していたことを感じさせます。

8018.旧落合支局にある道標
 
市街を通って大山道の道筋に戻り、進路を西に変えます。この辺りが最も古い落合の街だったそうで、道沿いには寛政5年(1794年)に建てられた木山宮の常夜燈や「磯濱」という力士の力士塚があります。

8019.木山宮の常夜燈
 

8020.力士塚
 
旧国道313号に合流する直前に垂水神社があります。平安時代に創建されたという落合を代表する由緒ある神社で、ここでは昇殿させていただき、宮司さんにガイドをしていただきました。神社や祀られている神様のことはもちろん、意外と知らない参拝の作法とその意味についてのお話もあり、参加者も聞き入っていました。

8021.垂水神社へ
 
続いて落合総合センターへ向かいます。落合総合センターは先述した落合支局の機能を平成28年(2016年)に移転させた新しい庁舎で、木材を多用した建物になっているほか、敷地内に「バイオ液肥スタンド」もあるのが真庭市らしいところです。ここで甘酒をいただきながらの休憩となりますが、雨に濡れて体が冷えたところなので、温かい甘酒がいつも以上においしく、おかわりをした参加者もいつも以上に多いようでした。

8022.真庭市落合総合センターへ
 
8023.バイオ液肥スタンド
休憩を終えると、雨もほとんど止んで歩きやすくなりました。旧国道313号に戻り、天神前バス停の西で左折して、次は箸立天満宮に立ち寄ります。

8024.天神前バス停の先で左折
 
箸立天満宮は菅原道真ゆかりの神社で、学問の神として崇敬を集めており、ここでも垂水神社の宮司さんによるガイドがあります。境内には菅原道真が子どもの頃、ここに立てた箸が育ったという伝承を持つ岡山県指定の天然記念物のイブキヒバの古木があるほか、大山道沿線らしく牛の像もあります。

8025.箸立天満宮のイブキヒバ
 

8026.鳥居
 
8027.新しい牛の像も
>拡大画像 箸立天神いぶきひばの案内板
また旧国道に戻り、現在の国道313号に斜め右から合流するすぐ手前から斜め右へ分岐する道に入っていきます。やはりこれが古い道筋のようで、沿道には古い民家が目立ちます。

8028.国道には合流せず斜め右へ
 
8029.古い街がまだ続く
その旧道がまた国道313号に合流する直前には木山宮の鳥居があります。木山宮は出雲街道の追分の道標にも登場する有名な寺社であり、大山寺と同様に現在では「木山神社」「木山寺」に分離された神仏習合の寺社です。また、牛頭天王を祀る場所でもあるため、牛馬の安全を祈願する人々を多く集めているのも大山寺と共通しており、落合でも明治時代に久世の牛馬市に統合されるまでの間、牛馬市も開かれていたそうです。社殿や本堂までは距離があるので立ち寄りはしませんでしたが、鳥居の脇には丁石があり、23丁(約2.5km)と記されています。

8030.木山宮の鳥居前
 
今度も国道313号には出ず、脇道に入ります。この付近で落合市街は終わり、田園地帯の畦道のような姿の道や、新しい郊外型店舗の裏に隠れた細道を縫いながら南西へ進んでいきます。古道らしい雰囲気はあまりありませんが、沿道には8034の写真の下方神社の小社などがあり、古道は現在の国道の少しだけ西を通っていたことがわかります。

8031.ここでも国道には合流しない
 
8032.田んぼの中を通ったり

8033.店舗の裏の細道を通ったり
 
8034.下方神社
下方神社からも国道313号の少し西の細道を進んでいきます。大山道として利用された時代とは少し道が変わってしまっているためか何度も曲がることになるので、前回のように参加者の一部がミスコースしないよう目を配りながら進んでいきます。目立った史跡こそありませんが、昔からの道筋がそのままに残っていると思われる場所とそうでない場所があるのが面白いところです。

8035.日野上川を渡る
 
8036.何度も曲がりながら南へ
畝というバス停の側の交差点で、開田を出て以来初めて国道313号を横断して国道の旧道に入り、道は備中川沿いを行くようになります。余談ですが、真庭市コミュニティバス「まにわくん」の畝バス停は備北バス時代は「鹿田橋」というバス停名でした。当然、このかつてのバス停の名称はこれから渡る旧鹿田橋に由来するものです。

8037.国道を横断
 
8038.国道の旧道へ
国道313号を横断してから100mほどで旧鹿田橋を渡ります。国道の改良により500mほど上流側に新しい橋が架けられた結果、ほとんど交通量のなくなったこの橋は老朽化が進み、大型車は通行禁止になっています。通行自体は可能ですが、長らく放置されたような姿で、荒れつつある道沿いに国道のおにぎり標識が残っていたりして、新しい時代の道の歴史がよくわかります。新しい鹿田橋を渡ってきた国道に合流すると、まもなく鹿田です。

8039.旧鹿田橋を渡る
 

8040.おにぎり標識が残る
 
8041.国道に合流
前回もご紹介したように、鹿田は旧備中街道と大山道の分岐点に位置する宿場町で、「鹿田の宿」という新しい看板に迎えられて鹿田地区内の旧道に入ります。宿場町型の街並みに入っていくあたりには前回、一部メンバーと立ち寄った道標があり、そこでもガイドがあります。「左 木山道 すぐ 大せん ゆばら道」とあり、今回のコースでは意識することの少なかった「大山」が登場しています。

8042.看板に迎えられて鹿田宿へ
 
8043.大山と木山宮の道標
鹿田に着いても今回の「大山みちを歩こう会」は終わりではありません。神亀3年(726年)創建という勇山寺に立ち寄り、ここでも中に入れていただいて持仏堂の不動明王をお見せいただき、お茶とお菓子をいただきながらご住職のお話を聞かせていただきます。ここのご住職は私よりも若いくらいの方で、かわいいお子さんを抱きながらお話をしてくださいました。持仏堂の不動明王だけでなく、33年に1度しか御開帳のない秘仏の薬師如来もあるという寺ですが、ご住職は兵庫県の方の別の寺と掛け持ちで、移動の多い生活をされているそうです。それでも、無住の寺が増えている中、若い方がこうして歴史ある寺を守り続けてくださっているということは本当にありがたいことです。

8044.勇山寺にも立ち寄り
 
ラストコースは鹿田の街並みを歩き、その中の小路に入って道の駅醍醐の里へ戻っていきます。前回もご紹介したとおり、鹿田では住民の方々が「鹿田の文化財マップ」を発行したり、看板を立てるなど、地域の歴史や文化を後世に残すための活動が活発に行われています。

8045.鹿田の街並み
 
8046.小路から道の駅へ戻る
今回歩いた区間は大山道としては平坦で地味な区間と言えますが、勝山や久世と比べて目立つ史跡の少ない落合の町の歴史を知ることができ、点在する小さな史跡や旧道をくまなく巡ることができたのはとても良かったです。こういった観光名所にならない史跡のことを知ることができるのは、こういった地元住民主催のイベントの最大の魅力でしょう。また、垂水神社や勇山寺で、宮司、住職のガイドを受けられたのも良かったです。

そして、今回は運営側に立つというほどではありませんが、現地において参加者がはぐれたり取り残されたりしないか目を配るなど、少しだけでも運営への協力を心がけて歩いてみました。何度も曲がる複雑なコースで、何度も先頭集団と最後尾の間を行き来して、一人で歩くより疲れましたが、こうして無事に全員がゴールしてイベントを終えられたことの喜びもいつも以上でした。
また、運営側という視点から見れば、雨天で決行したのも、バスや弁当の手配があること、延期しても参加者は大幅に減ってしまうことなどから、難しい判断だったようです。限られた予算の範囲で開催されているため、赤字になれば赤字になってしまった分だけ主催者の方々の個人での持ち出しとなってしまうという事情もあります。

「出雲街道勝山宿の会」のような地元有志主催のイベントは、知られざる地域の魅力や価値を伝えていき、広めていくための絶好の機会となっていると思います。「出雲街道勝山宿の会」では現在、ご高齢の方々のマンパワーでこうしたイベントを開催されており、そのパワーにはいつも感服するばかりですが、次の世代においても安定的かつ継続的にこういった取り組みを続けていくためには、さらに工夫が必要と思いますし、上の世代がこのイベントを続けてくださっているうちに、私もできることをさらに見つけて行動していかなければいけません。

第4回は平成30年(2018年)4月22日(日)に「開田〜久世」を歩く予定とのことです。ぜひ真庭市に足を運んでいただき、真庭地域と大山道の魅力に触れてみてください。
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