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第5回大山みちを歩こう会(平成30年10月14日)
「出雲街道勝山宿の会」の「大山みちを歩こう会」もいよいよ真庭市北部の山中の区間に入り、第5回は旧湯原町内を歩きます。ここからは当サイトの「だいせんみちを歩こう」でも既に取り上げている区間にはなりますが、それでも事前に送られてきた案内を見ると、知らなかった史跡も記載されていて、やはり地元の方々と一緒に歩いてみたいという気持ちにさせられます。
当日は湯原インターの近くにある「きずなホール真庭」に集合します。暑さも和らいだ晴天の絶好のウォーキング日和となりましたが、案外、参加者が減少していました。この時季は地元の祭りや他のイベントとの重複が多いため、本来は参加したかった人も参加できなかったケースが多かったと考えられます。いつもの流れで参加者のチェックと会長による挨拶を済ませ、バスで立石へと移動していきます。バスが走るのは県道55号で見明戸まで西進してから北上する形となり、この後歩くコースよりかなり遠回りになっています。

8301.きずなホール真庭に集合

8302.バスで立石へ
立石コミュニティハウスや二川保育所がある旧二川村の中心と言える交差点の近くに到着し、そこからウォーキングが始まります。立石コミュニティハウスの前には「備中」や「伊勢」が案内される道標と「道は移す村の姿」と刻まれた記念碑があります。前者は大山道の往来の盛んだった時代のもの、後者は湯原ダム建設の補償工事として道路改良が行われた昭和30年(1955年)のもので、今は過疎の村の中で寂しく立っています。まさに道と道標が村の姿を映していると言えますが、その存在を知ったからには、こうしてネット上でご紹介して歴史を残していきたいと思います。

8303.立石の道標

8304.道は映す村の姿
ウォーキングは始まったばかりですが、今回は早速「二川こうふく村」で昼食休憩となります。地元の皆様方がご用意してくださった「二川ふれあい弁当」はムカゴなどがたくさん入ったおこわに、二川産の野菜もふんだんに使用された多種のおかずがある地産地消の弁当で、非常においしかったです。

8305.二川こうふく村へ

8306.二川ふれあい弁当
「二川こうふく村」は旧二川中学校の校舎を活用した地域おこしの拠点で、雰囲気の良い木造校舎は私もぜひ中に入ってみたいと思っていた場所でした。中に入れば、やはり木造校舎が閉校後も大切に使用されていることもわかり、掲示物から地域において福祉活動や文化活動が活発に行われていることもよくわかります。旧湯原町の旧二川村域は表面的に見れば典型的な過疎の山村という印象を受ける場所ですが、こうして中を見ればそこには元気な人々が暮らし、活発な活動がなされているという印象も同時に受けることになります。

8307.木造校舎の階段

8308.地域の活動も盛ん
「二川こうふく村」を出発し、まずは粟谷川沿いの県道322号を南下します。特筆するほどの史跡はないのですが、このような晴れた秋の日に歩いているだけでも楽しい道です。そして、野田の四つ辻に着くと、県道322号は左折、右折は県道323号となりますが、大山みちの道筋は直進です。交差点ではこの周辺の道筋の変遷と湯原湖に沈んだ集落についてのガイドがありました。参加者同士の会話の中にも「車でも昔はこの辺りの県道をよく通っていた」といった話題が出ていました。

8309.少し早い紅葉

8310.粟谷川に沿って

8311.男滝橋を渡る

8312.野田の四つ辻
野田の四つ辻にはかつて道標がありました。以前に一人で歩いた時にはまったく気づかなかったのですが、その道標は交差点の100mほど南、道路が少し広くなっている場所の東の少し高い位置に移設されています。なぜそのような場所に移ったのかは謎としか言いようがありませんが、「左 いせ 右 やま 道」と刻まれたこの道標は、文化13年(1816年)に建てられたもので、合わせて地蔵が彫られたタイプです。年代としても道標自体の特徴としても、大山道らしい道標と言えます。

8313.野田の道標
緩やかな坂道を上っていき、三倉の集落に入るところには明治19年(1886年)の大日如来と安政3年(1857年)の大師立像があります。実際はお大師様というより、行者の姿をしています。誤りと言えば誤りなのかもしれませんが、地元の言い伝えとしては「大師立像」のようで、その違いも面白いところです。

8314.大日如来と大師立像

8315.三倉の集落内
三倉の集落からホウソ乢まで上り坂が続きます。特別きつい上り坂ではないのですが、史跡も「誠光整然居士碑」という山中一揆の犠牲者の供養碑と伝えれれる石碑がある程度で、景色に変化のない単調な上り坂が続くので、疲れを感じやすいところです。大人はもう少しで頂上だとわかっているし、単調な道にもあまり退屈はしませんが、この日の最年少の参加者である9歳の女の子は退屈気味で、みんなで「もう少しじゃけん」と励ましながら進んでいきます。

8316.上り坂が続く

8317.誠光自然居士碑
ホウソ乢が近づくと、大人からも「もう休憩しよう」との声が聞こえてきて、(本来の予定でも小休止ですが)ホウソ乢の頂上付近で小休止となります。同じ大山道には非常に長く険しい三坂峠があるため、その比較でホウソ乢は大したことのない峠と言われますが、こちらもそれなりに険しい峠道であり、ほとんどの参加者がここで腰を下ろしてホッと一息ついています。

8318.頂上付近で小休止
ホウソ乢から羽部までの下り坂はカーブの具合などからして、自動車が通れる道に改良された際に若干ながら道筋が変わっていると思われます。三倉からの上り坂と同様、史跡もあまり見られない単調な下り坂です。しかし、休憩をして道も下りに変わったことにより、上り坂の最後の方で疲れ気味だった参加者もペース良く歩いています。道端に明治40年(1907年)の大日如来を見れば周囲が開け始め、羽部の集落に入っていきます。

8319.下りのヘアピンカーブ
 
8320.羽部の大日如来
集落に入れば道は古道らしい雰囲気に戻り、羽部の集落には8321の写真の大師堂の仏像群が、奥茅森の集落には8322の写真の妙法河嶋大明神の石碑群があります。これらは初めて一人で歩いた時には気づかなかった史跡で、地域の方々とともに歩くことにより、より多くのことを学ぶことができました。

8321.羽部の大師堂

8322.妙法河嶋大明神と石碑群
奥茅森の集落にある現役の古民家で休憩となり、恒例の甘酒のほか、マスカットもいただきました。また、ご主人のご厚意で、家の中にも入れていただき、古い写真や日蓮上人と清正公(加藤清正)の像などを見せてくださり、立派な古民家にはやはり文化財的価値があることを再認識させられました。なお、現役の民家なので、ここはもちろん公開はされておらず、写真も許可をいただいて撮影・公開させていただいております。いつもながらイベントにご協力くださっている関係者の方々には本当に感謝しなければならないところです。

8323.現役の古民家に立ち寄り

8324.甘酒とマスカットの振る舞い

8325.日蓮上人と清正公の像
羽部川に沿って緩やかに下り続けると、茅森の集落に入って摩利支天の祠に立ち寄り、鉄山川沿いの県道55号に出ます。県道に出る地点にある民家の裏には良質な湧き水があり、庭まで入らせていただいてそこに引かれたおいしい水をいただきました。

8326.茅森の集落へ

8327.摩利支天の祠

8328.湧き水の出る民家
あとは歩道を含めてよく整備された県道55号と国道313号を淡々と歩いていきます。それでも沿道には日朝大菩薩の塚などの石造物が見られ、古道らしさが少しは残されています。

8329.日朝大菩薩の塚

8330.国道に出る
最後に立ち寄ったのが国道313号沿いにある禾津の八幡神社・宗像神社で、長年広く崇敬を集めていた神社であることがガイドされます。大山道沿いの神社らしく、牛の像もあります。

8331.八幡神社

8332.ここにも牛の像
ラストコースはかつて牛馬市も開かれていたという土居の街並みを通り抜けていきます。今回は山中の細い谷を縫っていくようなコースだったため、ゴール寸前になって初めて道沿いに家並みが並んだ場所と通ることになります。そして11.5kmという「出雲街道勝山宿の会」の歩こう会イベントとしては長めの距離を無事に歩き通し、きずなホール真庭に到着します。振り返れば越えてきた山はそれなりに遠く見え、万歩計の数字を比べあったりしている参加者の姿も見られました。

8333.土居の街並みを行く

8334.きずなホール真庭に到着
今回の「大山みちを歩こう会」のコースは、山や川の景色は美しい反面、史跡や見どころは少ないコースではないかと参加前には思っていました。しかし、実際にガイドをしていただきながら歩いてみると、以前に一人で歩いたときには見過ごしていた史跡がたくさんあることがよくわかり、国道どころか県道からも大きく外れた道沿いの知られざる史跡をこうして調査し、奥茅森の古民家のご主人などとも打ち合わせてしっかりとそれを見せてくださったことを本当にありがたく思いました。単体では観光名所にはなれないような知られざる史跡や見どころを掘り起こして楽しいウォーキングコースに変えていき、そして訪れた人には有名な観光名所を単に見たとき以上に満足していただくこと、私が当サイトで目指している古道歩きのあり方の理想的な形に近いものを見せていただいたような気がします。

冒頭に記したように参加人数は少なめでしたが、その分一人一人の参加者に目が届きやすく、ほとんど一本道であることもあって、当日の運営としては非常にやりやすく、私が自主的にフォローしなければならない場面もあまりありませんでした。
そういったこともあり、今回は「第2回大山みちを歩こう会」のときにも来ていた小学校4年生の女の子と一緒に歩くことに多くの時間を割きました。単に私が子ども好きなだけなのですが、それでも地域の未来を担う子どもたちにとっての貴重な「体験」を少しでも楽しい記憶にしてあげたいと思っています。平均年齢約80歳の「出雲街道勝山宿の会」のメンバーが30代の私にしていただいていること、同様に現役世代の私たちが下の世代につないでいかなければなりません。

さて、次回は「大山みちを歩こう会」は平成の時代も終わった令和元年(2019年)の5月19日に立石から蒜山の延助まで歩く予定です。今回はアンケートも実施されたので、「出雲街道勝山宿の会」ではまだまだ「その先」も考えていらっしゃるのかもしれませんが、平成後期の7年間にわたって継続した「出雲街道を歩こう会」「大山みちを歩こう会」のとりあえずの最終回となります。ぜひご一緒に鳥居ヶ乢からの大山を見ましょう!
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