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つながる出雲街道を歩こう会 江見〜勝間田(令和3年10月24日)
令和2年(2020年)に勝央町や津山市の旧久米町で開催された「つながる出雲街道を歩こう会」は、令和3年(2021年)は美作市での開催です。新型コロナウイルスの感染拡大の影響も受けることになりましたが、緊急事態宣言も解除され、感染拡大も治まった10月にまずは江見〜勝間田を歩くことになりました。
当日は勝央町のノースヴィレッジが集合場所となります。昨年9月のときと同様に、ここで昼食をいただきつつ、「勝間田宿の会」「勝山宿の会」の両方の代表からの挨拶と説明をいただき、バスに乗ってのスタートとなります。なお、用意された弁当は勝間田宿において昔のままの屋号で営業している割烹旅館の仕出し弁当でした。

8801.前々回と同様の始まり
 
8802.老舗割烹旅館の弁当

8803.バスに乗って出発
 
バスを降りたのは作東公民館。この公民館の前には移設されて保存されている道標があり、まさに出雲街道を案内している「左 津山雲州大社」との文字も見えます。今回は美作市のボランティアガイドを務めておられる3名の方が道中のガイドを担当されており、旧作東町エリア担当のガイドから説明を受けます。さらに、ここだけのご登場とはなりましたが、地元の歴史を専門に研究されている方から、江見に集まる古道の道筋についてのことや、江見には奈良時代から寺がたくさんあったことなどのガイドもありました。

8804.作東公民館前の道標からスタート
旧国道の道筋に入って江見の街並みを抜け、大還橋で吉野川を渡ります。旧街道の時代にはここに橋は架けられておらず、現在の国道の大還橋の南にある旧国道の大還橋の少し南で渡し舟がありました。

8805.江見の街並みを行く
 
8806.大還橋についてのガイド
大還橋を渡るとすぐに左折して、旧国道の江見踏切より一つ南の荒掘踏切で姫新線を横断します。その先で道が細くなるところは旧街道がそのまま現在の道路として生きている場所です。民家の軒先にあるお堂は旧街道時代の茶堂です。

8807.裏道となった旧街道
国道を横断し、美作江見駅前の交差点の一つ手前で右折します。六地蔵、一貫清水という見どころが続くことになりますが、ガイドの方も話しながら歩いているうちに一貫清水を通り過ぎてしまい、口頭のみのガイドとなりました。なお、一貫清水は現在は民家の敷地内にて木々に囲まれており、見逃してしまっても仕方がない状態だそうです。ちなみに、私個人としても、今まで思っていた一貫清水の場所が間違っていると判明しました。

8808.六地蔵
 
8809.一貫清水は通り過ぎてしまいました
この辺りから中国自動車道に沿うようになるまでは案内板類もなく、初めて歩く人には迷わず歩くのが難しいところです。先頭集団と最後部の差が少し広がっていましたが、スタッフが要所要所で道案内をしながら進みます。高齢化した「出雲街道勝山宿の会」では約10kmの道中を歩けるメンバーが減ってしまっているので、美作市や勝央町のグループとの連携が生きていました。なお、先ほどの一貫清水ではこの日時点の当サイトの案内が間違っていたことが判明しましたが、この辺りの道順は当サイト通りでホッとしました。

8810.秋ののどかな道
 
8811.ここを右です
中国自動車道にぶつかるとしばらくその南側を歩き、「佐用52」のトンネルを抜けて北側に出ます。この付近は中国自動車道の建設の影響で史跡は失われているので、淡々と歩いていくだけですが、みんなで歩くとその道中の会話も楽しいです。

8812.中国道に近づいたところで小休止
 
8813.「佐用52」のトンネルをくぐる
次の見どころは峠の地蔵堂。ここは奈良時代に行基が建立したという伝承もある地です。もちろんそれは事実かどうか疑わしいところではありますが、今回お聞きしたさらなる話ではこの地蔵堂は国道沿いにある仏法寺の奥の院であり、脇の宝篋印塔はその仏法寺の僧である空念上人の上人塚であるとのことでした。こちらは移転されたものとは言え、室町時代のもので間違いありません。

8814.峠の地蔵堂と宝篋印塔
峠の地蔵堂からは高速道路沿いながらも石造物が多く保存された古道らしい道となって旧美作町エリアに入り、美作市のガイドが交代します。楢原パーキングエリアの北には地蔵堂と大師堂があります。この大師堂は江戸時代の終わりか明治時代の始め頃に、周辺地域にコレラが流行した際に勧進されたもので、サバを食べれば良くなるとの話を伝え聞き、人々がサバを食べて病が治まったことから、「鯖大師」との異名が付き、現在でもサバを供える風習があるそうです。

8815.高速道路の側でも古道らしい
 
8816.地蔵堂と大師堂へ
美作国一宮である中山神社の主祭神である鏡作命降臨地の入口でガイドを受け、「神宿る地」である神宿の集落に入ります。この集落にはある名字の家が多く、その中の一軒にはその敷地内に鏡作命を祀る立派な社があります。ここにお住まいの方はお留守でしたが、事前に中に入り社を見学することの許可をいただいており、当然ながら普段は絶対に見ることができない民家の中の社を見せていただきます。
狭いため順番待ちの時間が生じましたが、そのすぐ側の田んぼでは畔に黒豆が植えられているのを見つけた「出雲街道勝山宿の会」のメンバーから昔は畔によく黒豆を植えていて、その世話が子どもの頃の仕事だったという昔話も聞くことができました。目に見える史跡だけではなく、こういった話も地域の大切な歴史です。

8817.民家の中の社(この日だけの公開)

8818.この辺りは黒豆の特産地
 
神宿の集落の西には道祖神や力士塚などの石造物が集まっていてここでまたガイドを受けます。こういった比較的広くて絵になる場所でドローンによる撮影が行われるのも最近のイベントでの定番です。次いで楢原の街並みに入る直前、県道との交差点では地元農家がちょうど見てきたところの黒豆や枝豆の直売をしているところでした。幟に見えるように「作州黒」は美作市や勝央町の特産品で、参加者の多くがここで購入していました。

8819.神宿の石碑群
 
8820.黒豆・枝豆の直売
そして宿駅を含まない今回のコースでは唯一、古い街並みが形成されている楢原に入ります。距離が比較的長い土居と勝間田の間で「間宿」としての役割を持っていたこと、街並みの出入口に人数を数えるための人舛という設備の跡が残っていることが特徴です。街並みを出ると斜め左に進みますが、ここではさらに左折して楢原上のコミュニティハウスでトイレ休憩となります。

8821.楢原宿へ

8822.西の人舛跡・一里塚跡
 
8823.左折して休憩
ここからしばらくは中国自動車道の建設や圃場整備の結果として道沿いに史跡があまり見られなくなりますが、見晴らしが良くなる場所を利用して楢原周辺の歴史について遠くからの解説があります。そのすべてをしっかり聞いているわけでもなく、一つ一つご紹介もできませんが、語るべき歴史がたくさんあるということだけは本当によく伝わってきます。

8824.見晴らしの良いところで様々なガイド
 
8825.立ち止まる場所はたくさん
次いで足を止めてガイドを受けたのは火之神社。この付近の地名が「火の神」となっていることから始まり、火の神様のいわれや境内に祀られている石の話など、ガイドの方の自説を含めてたくさんの話がありました。このような小さな神社にそれほどのストーリーがあること、そしてそれを語れる人がいること、このような機会がないとなかなか知れるものではありません。

8826.火之神社では長いガイド
火之神社のすぐ西、梶並川の畔にあるのは笠懸の森。ここで休息した後醍醐天皇に笠懸の武技を見せて慰めたという伝承の地です。案内板に記されているような基本的な解説だけでなく、石碑に使用されている巨石を運ばれた時の話など、地元ガイドならではの話題も加わります。

8827.笠懸の森
梶並川に架かる笠懸橋からは再度ガイドが交代します。早速、江戸時代にはここに橋がなく、参勤交代のときには下流の町から高瀬舟を借りてきていたことなどがガイドされます。渡った先は梶並川と曽井川に挟まれた渡里の集落です。

8828.梶並川と笠懸橋

8829.次いで曽井川を渡る
県道51号を横断してからは概ね幹線道路沿いの道筋となりますが、旧街道の道筋はこの道路とはあまり重なっておらず、まずは北に入り、豊国神社についてガイドを受けます。ここからしばらくは旧街道らしい風情がよく残っており、緩いカーブを繰り返しながら田園地帯を進んでいきます。

8830.北の旧街道へ
 
8831.豊国神社

8832.田園地帯を進んだり
 
8833.土道に入ったり
大砂池の側には美作市の保健センターや福祉施設が集まっており、そこに併設された公園で恒例の甘酒休憩となります。気温も下がってきた10月下旬、この日の行程の約8割を歩いてきたところで温かい甘酒が美味しく感じ、腰を下ろしてリラックスしている参加者の姿も目立ちました。当初の予定では笠懸の森を甘酒休憩の場所にする予定だったところ、場所が狭いためここに変更したそうですが、休憩のタイミングとしてはこちらに変更して正解という感じがしました。ここからは美作市のラストコースとなり、小さな丘陵を2つ越えていくことになります。

8834.甘酒で一息

8835.大砂池の脇から街道へ復帰
 
8836.緩やかな坂道を上る
丘を上ったところで左折して中国自動車道を乗り越えると、そこに立つのは「出雲街道四つ辻」の新設の道標です。岡山と鳥取を結んでいた因幡・備前往来と出雲街道との交差点がこの場所であることのガイドがあり、8837の写真後方の道へと進んでいきます。ここは雑草が生い茂り、入るのにも躊躇するような状態だったのですが、このイベントの10日ほど前に有志が集まって500〜600mほどの距離の草刈りを実施してくれました。この間に特に史跡があるわけではありませんが、高速道路のすぐ脇でありながらも昔の道がそのまま残る区間であり、まさに昔の街道を歩いているような気分にさせてくれました。ガイドによると、この日のためだけに刈ったのではなく、今後の道の活用を考えてのことだとのことで、今後もこの状態が保たれることに期待したいです。

8837.四つ辻

8838.見事に復活した旧街道

8839.上相地区へ下っていく
舗装道路に出たところには古い立派な家と「巨木 立場松跡」という新設の標柱があります。街道の休憩ポイントだった場所で、一里塚ではありませんが松の巨木が目印となっていた場所です。また、そのすぐ西の上相川に架かる橋は江戸時代から板橋が架かっていて、この場所が板橋と呼ばれていたこと、婚約のために江戸に向かっていた松江藩の政姫も休憩されたことなど、次々に歴史の話が紹介されます。ここでは様子を見ていたその家にお住まいのお年寄りも出てこられ、松は最近まで残っていたこと(8840の写真に写っている切り株とは別)などを話してくださいました。

8840.立場と巨木の跡
上相地区の谷を突っ切り、美作市最後の中尾地区は梨木乢という小さな峠を越える道のりです。道は舗装されているものの雰囲気は旧街道らしいところです。

8841.上相地区の谷を西へ
 
8842.梨木乢へ上る
坂道を上り詰める直前には一里塚跡の標柱があり、美作国の一里塚について、鍛冶屋逧という製鉄ゆかりの地名についてのガイドがあります。大師堂、六地蔵と見どころは続き、それぞれのガイドがあります。ところで、今回のコースで幾度となく目にしたこのタイプの標柱は「出雲街道再発見の会」が十数年前に整備したものです。他に「美作市出雲街道マップ」の作成など、美作市において大きな成果を残されていた同会ですが、現在は解散されているそうです。私が出雲街道を歩き始めて7年間、何度も会の名前を聞きながらも現在進行形の活動を知ることができなかった理由がわかりました。しかし、その成果は現在も色褪せることはないし、先ほどの道の整備のように、出雲街道の保存活用に関する志は受け継がれています。

8843.鍛冶屋逧の一里塚跡

8844.大師堂
 
8845.六地蔵
中尾地区では道路の拡幅工事が進められており、既に美作岡山道路の勝央ジャンクション開通に伴い改良済みの道へと下っていきます。美作岡山道路をくぐる直前にあるのは「古道 住宅跡」という標柱です。ここは近世出雲街道よりも古い道筋が確認された場所だということは知っていましたが、ガイドによると「住宅」とは6世紀頃の住宅の跡が22棟という規模で発掘されたことを示しているとのことでした。まさに出雲街道の沿線は古代から発展していた地域で、出雲街道も古代からの重要な道であったということを再認識できました。

8846.大畑の古道と住宅の跡
美作岡山道路に続いて中国自動車道をくぐると、まもなくノースヴィレッジに到着します。当初の予定より約1時間も遅れてのゴールとなりました。

8847.中国道をくぐる
 
8848.ノースヴィレッジに到着
約1年ぶりの「つながる出雲街道を歩こう会」は美作市での開催。距離が長めだったというだけでなく、小さな史跡が次々に登場し、充実したガイドを受けて、予定が大幅に遅れるほどになりました。前回も地元ガイドはまだまだ語り尽くせていないような感じを受けましたが、それは今回も同様でした。本当に出雲街道には語り尽くせぬほどのストーリーがあるのです。「出雲街道を歩こう」管理者の立場からしても、この2年ほどは基本的な部分ができあがったと思えるようになってきたところ、こういった機会に地元の方々のお話を拝聴して「また歩きなおして再更新しなければ…」と感じることの繰り返しです。

今回、美作市では「出雲街道再発見の会」が解散してしまったことを知りましたが、新たな市民の動きも同時に知ることができました。個人的にこの日の一番の感動は上相地区・中尾地区の道がきれいになっていたことで、「この日のためだけにしたのではない」という言葉に頼もしさを感じました。さらに「美作市歴史文化財研究会」の「往来地名部会」では案内板を増設するなどの活動を構想しているそうです。出雲街道の保存活用の活動を行う市民グループも世代交代し、ますます今後に期待したいところです。

「つながる出雲街道を歩こう会」も3回目、「勝山宿の会」が作り上げてきた基本形は維持しつつも、主催者は勝央町外が主となるコースにもかかわらず「勝間田宿の会」、さらに道中のガイドは美作市のボランティアガイドが行い、役割分担されていました。単に違う場所での「歩こう会」開催というだけでなく、「つながる」ことのノウハウもできつつあるような印象を受けました。

次回は11月21日(日)に土居・萬ノ乢から江見まで歩きます。もう「次々回」はないかもしれませんが、「勝間田宿の会」では「津山でも」という意向をお持ちのようですし、「勝山宿の会」では何と鳥取県の有志グループとの接点も生まれているそうです。イベントが実現するかは不明ですが、この1年で「つながる出雲街道」は着実に実現していっています。
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