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13.真庭市藤森の道標地蔵
大山牛馬市は「地蔵信仰が育んだ日本最大の牛馬市」として日本遺産になっているだけあって、牛馬の道であった大山道には道標としての内容が彫られた地蔵が目立ちます。その傾向は伯耆国だけでなく、美作国でも湯原や蒜山でも同様で、大山の方向を示した地蔵が残されています。

かつて拠点性の高かった真庭市藤森の集落を北に出たところの交差点には、『左ハ大せん 右ハくら吉』の文字がある道標地蔵があります。現在、倉吉方面への道はローカル県道なりにかつての役割を保った道路であるのに対し、大山方面への道は蒜山へ抜けていけるようにも見えないような細い道となっていますが、鳥居ヶ乢を経て郷原や延助への近道であり、大山道の道筋そのものは引き継がれています。

過疎化の進んだ集落の片隅において、現在ではローカル県道からさらにローカルな道が分岐するだけの交差点に見える場所なのですが、かつては大山道という幹線道路の重要交差点であったことを物語る道標で、こういった道標の存在が大山道の大きな魅力と言えます。
このような道標地蔵は美作国の東部や播磨国ではほとんど見られません。大山の地蔵信仰を象徴するように、大山に近い伯耆国や美作国の湯原、蒜山の特徴と言える道標のスタイルです。

文化10年(1813年)の道標です。

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令和2年(2020年)11月23日 Facebookページに掲載
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