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奥大山古道ウォーク2016(平成28年11月13日)
「日本遺産」に指定された大山牛馬市。その大山への往来に使われた古道が残されていることを知った私が、地域の古道として出雲街道に続いてぜひともご紹介しようと考えたのが「大山道」です。その大山道を少しずつ歩き始めたところで飛び込んできたのがこの「奥大山古道ウォーク」の情報です。しかも、このイベントはこれまで大山道について調べてきた中でどうしてもわからなかった鳥取県日野郡江府町の古道を歩くというので、このときの私にはまさにうってつけのイベントで、これは参加するしかありません。単に古道歩きというだけでなく、多くの人々を魅了してやまない大山近辺の自然の中を紅葉の美しいシーズンに歩くことも楽しみで仕方ありません。

当日は中国地方を代表するスキー場と言える「エバーランド奥大山」が集合場所となります。江府町を挙げた一大イベントには約100人の参加者が集まり、「奥大山古道保存協議会」の代表や江府町長、この日のイベントでお世話になる御机、下蚊屋地区の代表者の方のご挨拶をいただきます。このイベントは毎年開催されていますが、今年はこのイベントを開催するようになってから初めての快晴の天候だそうです。

7601.エバーランド奥大山
 
7602.各代表の方からのご挨拶
15人程度の班に分かれてバスに分乗し、まずは鍵掛峠へ行きます。鍵掛峠は数ある大山のビュースポットの中でもトップクラスの人気を誇るメジャーな絶景スポットで、迫力のある大山の南壁がよく見えます。駐車場とトイレが整備されていますが、この日は紅葉シーズンの日曜日なので一般観光客の車が駐車場を埋めています。ここから見る大山は、出雲街道でご紹介した伯耆町と米子市の境付近で西から見た大山とは同じ山とは思えないほど表情は異なっており、これも大山の魅力の一つです。また、古道の観点で見れば、ここには地蔵信仰とリンクした大山道らしいお地蔵さんがあり、道中の無事を祈願して出発します。
「大山環状道路」を名乗る観光道路の県道45号を少しだけ戻って古道の山道に入ります。なお、メジャーな観光スポットのすぐ側だけあって、マナーの悪い観光客が立ち入りにくいように、ここでは入口だけは草が刈られておらず、私もあえて写真を掲載いたしません。当サイトをご覧の皆様にも、大山隠岐国立公園の区域内で貴重な動植物もいる天然林であることを認識して古道ウォーク、自然散策を楽しんでいただくよう重ねてお願い申し上げます。ごみのポイ捨てはもちろん、山野草の採取も厳禁です。

7603.鍵掛峠から見る大山
 

7604.鍵掛峠の地蔵
 
7605.少しだけ県道を歩いて古道へ
県道を外れて御机を目指す古道は現在の一般的な地図では道路として扱われていない山道がほとんどです。しかも、この辺りの標高は900m程度あり、大山を象徴するようなブナやミズナラの美しい森になっているので、古道歩きというより、登山に来たような気分になります。私のいた班のリーダーは、大山近辺の自然に惚れこんでこの「奥大山古道」の活動にも参加されるようになったという方だったので、特徴的な植物やその見分け方についてガイドをしてくださいました。都市部から参加している「歴史散策派」の私はこういった場で植物の話をしていただいてもなかなか頭に入らないのが悩みですが、せっかくガイドしていただいたので、ブナの木や葉の見分け方くらいは何とか覚えて帰りました。大山道にしても出雲街道にしても田舎の古道歩きはこういった自然とのふれあいが大きな魅力だといつも思っています。

7606.森の植物についてのガイド
 
御机の人々の生活範囲に入るまでの間は登山道のような山道が続きますが、7607の写真に見られるように、道路が少しくぼんでいるのがこの道の特徴です。これは多くの人々、そして体重のある牛馬の通行が多かった道の部分が削られたり、押しつぶされたりした結果で、単なる山道とは違う歴史の道の証です。

7607.多くの人と牛馬が往来した古道
 
標高が下がるにつれて徐々に周囲の森の植生も変わってくるのが一つの見どころだとリーダーに教えていただきましたが、確か徐々にブナの木が減ってきて、そしてついに人工林が見られるようになったところで水路の跡を渡ります。これは後述する下蚊屋地区と伯耆町にある大倉地区の代表者が協議して明治時代に建設された「米金井手」の跡で、大山南麓の各河川の源流部を結ぶこの水路は延長約20kmにも及び、地域の水田開発に大きな役割を果たしました。そのような人工的な構造物が登場した直後に道は舗装されていないとは言え、軽トラックが通行可能な「道路」に変わります。

7608.米金井手の跡
 
鍵掛峠から直線距離で2kmほど南下して広域農道にぶつかる地点には「右 大山道」と書かれた道標や地蔵があり、ここを左折します。道標は現在の道路における大山道の入口に移設されたものではありますが、かつての道筋も広域農道のすぐ北の少し高い位置でしたので、道筋はあまり変わっておらず、古道歩きの気分が損なわれることはありません。広域農道を歩くのはわずか100mほどで、次のカーブのところからまた山道に入ります。

7609.道標もあります
 

7610.本来の大山道は少し上
 
7611.すぐにまた山道へ
U字形に迂回して御机に至る広域農道に対し、大山道の山道は直線的に下っていきます。次に出会う舗装道路はやはりこの広域農道で、昔の人が勾配を厭わず直線的に道を作り、そこを歩いていたことを実感することになります。今度も広域農道を歩く距離は300mほどしかなく、7613の写真の地点から御机の集落に入っていきます。

7612.急坂を下る
 
7613.左の道に入り御机へ
御机の集落は標高600m程度の丘陵上にありますが、平地はかなり広いです。これは大山のかつての火山活動による堆積物がなだらかな地形を作ったもので、河岸段丘とは形成過程が異なっています。このため、御机に限らず江府町では谷沿いよりも丘陵上の方が平地が広いことがほとんどで、地形上の大きな特徴となっています。御机の集落内には川らしい川は流れていませんが、地下水は豊富で、水路にはきれいな水が豊かに流れています。

7614.きれいな水が流れる水路
 
7615.大山道の交差点には常夜灯
>拡大画像 御机の案内板
御机の公民館で昼食休憩となりますが、ここでは御机地区の皆様がご用意くださった「団子汁」をいただきます。「団子汁」は隠岐から脱出した後醍醐天皇に振舞われたという伝承を持つ郷土料理で、素朴ながらも味わい深く、とてもおいしかったです。御机という地名自体も案内板にある通り後醍醐天皇の伝承に基づく地名です。ここでは農産物の販売も行われており、この年の秋は全国的に野菜が高騰していたので、良質かつ安価な野菜が飛ぶように売れていました。ご準備いただいた御机の皆様にも感謝です。

7616.団子汁
 

7617.特産品や野菜の販売も
 
休憩を終えると後半戦に入りますが、最初に大山撮影スポットとして有名な茅葺き屋根の小屋に立ち寄ります。7618の写真の風景は江府町のイメージ写真としても多数使用されているので、他のサイトや観光パンフレット等でご覧になったことのある方も多いでしょう。

7618.大山と茅葺き屋根の小屋
 
御机の集落を南に出たところには六地蔵があり、日野郡に多い三界萬霊塔と並んだスタイルになっています。道路の向かい側には大山を背景とした五輪塔もあり、ここも大山の撮影スポットの一つです。

7619.六地蔵と三界萬霊塔
 
7620.大山と五輪塔
7621の写真の地点で県道315号から分かれます。ここには「入山禁止」との看板があり、このようなところでもマナーの悪い観光客がごみの投棄や山野草の採集をしたりしていると思うと悲しくなりますが、もし興味を持って古道歩きをされる際にはここから先もマナー厳守で歩いていただくようお願い申し上げます。そのような状況なので、あえて道順は詳述しませんが、美用谷川まで一気に下って川を渡ってから山道を上っていくことになり、御机の集落が川と比べてかなり高い位置にあることを実感します。

7621.次の山へ入っていく
 
7622.美用谷川を渡る
ここからもまた一般的な地図上で道路扱いされていない山道です。鍵掛峠から御机までの間は概ね緩やかな下りでしたが、今度は険しい上り坂になります。写真を撮り忘れましたが、途中に「ショウガの刀水」と呼ばれる湧水があり、侍が人を斬った刀を洗ってから、この水を飲んだ人はひどい腹痛になり、どうしても治らなかったという伝承があるそうです。また、鍵掛峠から御机の区間と比べて、こちらの方がやや道の状態が悪く、この古道再生に尽力されている皆様方のご苦労が偲ばれますが、落ちている石を拾ってみると、中国地方らしい花崗岩ではなく、大山の昔の火山活動によって積もったと思われる火成岩がほとんどで、局地的な地質の特性が感じられます。

7623.険しい上り坂
 
7624.大山らしい天然林が復活
名前があるのかないのかもわかりませんが、御机と笠良原の間の峠は、いかにも峠らしい雰囲気があり、そこには大山道らしくお地蔵さんがあります。私のいた班は比較的ゆっくりと進んできましたが、一つ後ろの班は健脚揃いなのか、どんどん前に進んで追いつかれがちだったので、ここで道を譲りました。

7625.峠の地蔵
 
標高700mちょっとの峠を過ぎると、つづら折れの山道を一気に細谷川へと下っていきます。細谷川を渡る間で地点の標高は600m程度になり、直線距離では200m程度の間に100m近くも下っていることになります。

7626.つづら折れで下る
 
細谷川は今回のコースでもハイライトの一つで、川に橋が架かっておらず、岩を伝いながら渡ります。中には不安そうな参加者もいて、リーダーがサポートしながらの渡渉となります。現代ではまず見られなくなった川の渡り方ですが、大山道が牛馬の道だった時代には、牛馬にはそのまま川を渡らせながら人は岩伝いに渡ったのか、そしてそれができる場所を選んで川を渡るようにしたのか、などと想像してみます。

7627.岩伝いに細谷川を渡る
 
あとは笠良原に向けたラストコースですが、御机と美用谷川と同じように、笠良原と細谷川の高低差は大きく、再び急な上り坂となります。

7628.また上り坂
 
上り詰めると御机と同様の台地にある笠良原です。この日のウォーキングは笠良原を縦断する道路にぶつかる地点で終了ですが、ここには道標の役割を持つお地蔵さんがあり、完璧には読めていないのですが、「大せん」「くらよし」「下蚊屋」という地名が案内されています。そしてここは大山とその東に連なる山並みの眺めも美しく、往時には牛馬を連れた旅人たちにとっていよいよ大山が近づいてきたことを実感する場所だったことでしょう。
また、笠良原は集落もごく小さく、まるで北海道の原野のような風景が広がる場所でもあります。この地点から少し北に行けば「奥大山ブルーベリーファーム」、そして西日本屈指のミネラルウォーターのブランド「奥大山の天然水」の採水地もあります。

7629.右から烏ヶ山、城山、そして大山
 
笠良原からはバスで下蚊屋まで移動します。台地の上の御机や笠良原に対し、下蚊屋は谷沿いの集落で、笠良原からはいくつかのヘアピンカーブで一気に標高を下げます。そして下蚊屋では最後に旧米沢小学校下蚊屋分校において、地域の伝統芸能である「下蚊屋荒神神楽」が披露されます。この下蚊屋の荒神神楽は鳥取県の無形民俗文化財にも指定されており、韓国でも公演された実績を持っています。この日の演目は「八岐大蛇」の神話でしたが、私自身、このような伝統芸能を生で観るのは初めての体験で、火花を散らす大蛇の仕掛けや、2人で演じる大蛇と須佐之男命の息を合わせた動きには感動させられました。
また、下蚊屋の荒神神楽は備中神楽の影響を受けており、神楽面は木地師の技術で作られています。機械化によりすっかり廃れてしまいましたが、手作業による高度な木工加工技術を持つ木地師は、内海乢を経た美作国の蒜山地域も含め、この地域の歴史を彩ってきた存在です。下蚊屋地区は江府町の中心地である江尾よりもむしろ岡山県真庭市の旧川上村に近く、かつては美作国との交流が盛んだったという一面も持っています。小学校の分校すらも閉校されたこの小さな集落は、大山への往来に利用された古道を介して旧国境(県境)を超えた文化の交流があったことを象徴するような場所だと言えます。

7630.須佐之男命と八岐大蛇の決戦
 

7631.最後は大国様による餅まき
 
7632.旧米沢小学校下蚊屋分校
下蚊屋から再びバスで「エバーランド奥大山」に戻って解散となりますが、下蚊屋から国道482号と県道315号を経由する御机までの道のりは(バスだと大して時間はかかりませんが)大きく迂回していて、古道の距離の近さを再度実感します。

このようにこのイベントは極めて盛りだくさんな内容で、約6時間はあっという間に過ぎていきました。「たたら製鉄」「大山牛馬市」「木地師」「大山山麓の自然や地形」など、本当に地域の自然や歴史、文化は個性に溢れており、出雲街道をきっかけに関心を持ったこの地域の「深さ」を改めて思い知ることになりました。これらの地域の魅力を当サイトを通してほんの少しずつでもご紹介していけたらと思います。

そして、まさに江府町の町を挙げた「おもてなし」も心に残りました。御机や下蚊屋の皆様方には団子汁や荒神神楽のご用意にたいへんご苦労いただき、一参加者として今一度御礼申し上げなければなりません。運営もしっかりしており、大人数が参加するイベントですが、班を分けてちゃんと目が行き届くようにされていましたし、この日は全区間がきれいに整備されていましたが、事前にはやはり草刈り等をしていただいていたそうです。
また、見逃せなかったのがサントリーによるご協力で、参加者に「奥大山の天然水」を配布するだけでなく、社員がスタッフとして各班に必ず配置され、行程をともにしながら目配りをされていました。私の班についていたサントリーの社員の方は私よりも若いように見えましたが、ご出身は下蚊屋だそうで、今は下蚊屋に住んでいるわけではないそうですが、それでも若い世代が安心して就職できるような大企業の存在は、単純な雇用の話だけでなく、地域活力の維持にも大いに役立っていると言え、CSRとしてこのような地域貢献も行えるほどの大企業が人口3,000人にも満たない小さな町に存在していることの意義を感じました。

一つだけ意見を言わせていただくなら、参加費1,000円は安すぎると思いました。江府町(あるいは鳥取県)が地域の宣伝の一環として「投資」されているのでしょうが、ガイド付きでのウォーキングというだけでなく、郷土料理を味わい、郷土芸能を楽しませていただけるこのイベントの価値はそんなものではありません。山陰地方の観光に関するトピックとして、JR西日本がツアー型の豪華寝台列車を走らせると発表していますが、その値段は数十万円になる見込みで、地域のツーリズムにはそれだけの価値があるのです。そのようにしっかりとお金が動く形ができれば、地域のツーリズムがビジネスとなり、本当の意味での地方創生の一翼となると確信しています。ボランティアベースでやっている地域の有志が行うイベントならともかく、行政や大企業が深く関わるほどのイベントなら、そのあたりの「経営的視点」を持ち、自信を持って地域の価値を「売り出して」いただきたいと思います。当サイトをご覧の皆様にも、そういった地域経済の視点を頭の片隅において、こうしたイベントや直接的にお金のかからない古道歩きという旅のスタイルに「ただ乗り」することなく、地域おこしに資するお金を可能な範囲で落としていただければ幸いです。

専用のデザインにしたことからご想像いただけると思いますが、今後、出雲街道に続くコンテンツとして大山道もご紹介していきます。ある程度の形ができるまででもまだまだ時間がかかりますし、あくまでメインは出雲街道ではありますが、どうぞよろしくお願いいたします。

※今回歩いたコースの多くは、日常的には人の通ることのない道を歩いており、主要な道路や集落からも離れています。また、一部は国立公園の区域内であるとともに、マナーの悪い観光客に地元住民の方々が悩まれている面もあります。もし、興味を持って歩かれる場合には、自己責任において安全にご注意いただくとともに、マナーに関しても厳守して歩いていただきますようお願いいたします。
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