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9-5.矢田バス停→松江大橋→松江城
安来・松江東部エリア [この区間の地図]
<9-4.揖屋駅→出雲郷宿→矢田BS 10-1.京橋/南殿町BS→秋鹿町駅>
●矢田の渡し
大橋川に沿って進んでいると、この辺りには橋がないことに気づきます。そんな中、山陰本線の矢田踏切を過ぎたところで現れるのが何と古代から約1300年の歴史を持ち、現存する渡し舟としては全国最古とも言われる「矢田の渡し」です。わすか1〜2分、運賃40円の船旅を楽しむのも一興ですが、車社会が進展したことに加え、大橋川に中海大橋や縁結び大橋が架けられた結果として利用が激減し、現在、本来の渡し舟としての運航は休止中です。その代わり大橋川の観光船として運航して伝統ある渡し舟を存続させる努力が続いています。

4701.矢田の渡し
矢田の渡しを過ぎると大橋川から少し離れ、旧国道はそのまま一直線に続きますが、旧街道はやや北寄りを通っていたそうなので、馬橋で馬橋川を渡った先を右折してすぐ斜め左へ進み、突き当たりを左折するという順で旧街道の道筋に入ります。新しい住宅も目立つ都市郊外ですが、地蔵堂や歳徳神堂が見られるなど、それなりに旧街道らしさが残されています。

4702.馬橋川を渡って右へ

4703.旧街道の地蔵堂

4704.旧家も点在する

4705.歳徳神堂
左に大きくカーブして旧国道に戻ったあたりが津田の一里塚があった場所で、現在は何も残されていませんが、そこにあるアパートの名前が歴史を語っています。もちろん、ここは右折して西に進むのですが、少し東へ戻って南に入れば長源寺があり、ここには尼子勝久や山中鹿ノ介らとともに尼子氏再興のために転戦した立原久綱の墓、そして戦国時代の毛利氏と尼子氏の長きにわたる「雲芸戦乱」の殉難者の供養塔があります。後者はごく新しいものですが、約450年の時を経て、その終末の地であり同じ出雲街道沿線である播磨国の上月とのコラボでこのような供養塔が立てられたことには大きな意義を感じます。

4706.歴史を語るのはアパートの名前

4707.立原久綱の墓

4708.雲芸戦乱・尼子勝久供養塔
>拡大画像 立原久綱の墓の案内板
>拡大画像 尼子勝久追恩塔の案内板
松原延命地蔵尊のところで山陰本線の津田踏切を渡ると、線路との間に大きな榎の木が見えます。ここは「田中又六お目見え場」という場所で、松江藩の功臣として特別な待遇を受けていた田中家が、この場所において単独で藩主の見送りや出迎えを行っていたそうです。一般公開はされていないものの、出雲国の上方街道(出雲街道)の絵図として現在も実用性が高く、当サイトでも度々登場している「道程記」を所蔵しているのもこの田中家です。次いで東津田一区交差点では旧道らしく斜め方向に国道を横断します。

4709.松原延命地蔵尊

4710.田中又六お目見え場の榎
●津田の松原跡
津田地区の旧街道にはかつて400本以上の松が植えられており、「松江藩道津田松並木」として天然記念物にも指定されていました。現在はすべて切られたり枯れたりしてしまいましたが、津田小学校の校庭北側と東津田交差点西側の歩道橋付近には松の切り株が残されています。さらにもう一度国道を横断すると、国道の北側にはわずかの区間ながら松並木が再現されています。これらは「津田の松原伝承保存会」の皆様のご尽力で整備されたもので、乱開発されがちな都市郊外の国道沿いの地区の歴史をわかりやすく残してくださっています。

4711.再現された松並木

4712.小学校にある最後の松の切り株

4713.国道の脇にも切り株
わずかに再現された松並木を過ぎたところで左折し、現在の国道の一本北を通る旧国道を西へ1.5kmほど一直線に進みます。ここにかつて松並木が続いていたわけですが、現在では史跡も見当たらず、都市内の単調な道と化しています。隠岐島への国道である国道485号を横断した先でその道が突き当たると、左折でいったん国道の松原交差点に出ます。

4714.松並木があれば見事ですが…

4715.突き当たりを左折して国道へ
松原交差点から竪町交差点までの間、国道の南側は格子状の整然とした町割り、北側は不規則な道路形状で、町の様子がかなり違っています。この辺りはちょうど松江の城下町に入るか入らないかというところですが、城から遠いはずの南側が下級武士が暮らし、城下町に含まれる雑賀町であるのに対し、城に近いはずの北側は城下町のエリアから外れているのが面白いところです。そのまま西に行くと市街をバイパスしたまま通り過ぎてしまうので、竪町交差点を右折して北に向きを変えますが、この竪町からは完全に松江城下町に入っており、古くからの市街だとわかるような密集した街並みとなります。

4716.しばらくは国道

4717.竪町交差点を右折

4718.竪町

4719.天神橋を渡る
>拡大画像 竪町の案内板
竪町を過ぎたところで天神川を渡ると、中央に広場のあるロータリー状の交差点がありますが、これも江戸時代の城下町の絵図にも明確に描かれている当時からの町割りの名残です。この交差点の西側には松江の城下町において広く崇敬を集めている白潟天満宮があり、ここから旧街道の道筋は天神町をまっすぐ北上して松江大橋を目指していきます。天神町交差点では松江駅前を横切る大通りの県道253号と交差します。

4720.天神ロータリー広場

4721.白潟天満宮

4722.天神町

4723.天神町交差点
>拡大画像 白潟天満宮の案内板
旧街道の道筋はなおも直進ですが、東の松江駅方面に寄道してみると、道路の北側は西(宍道湖側)から順に商業地の白潟本町、寺社が集中する寺町、そして歓楽街の伊勢宮となっており、区画ごとの役割の違いが見事なまでにはっきり分かれています。

4724.寺町

4725.伊勢宮
>拡大画像 松江鼕の案内板
>拡大画像 寺町案内図
松江駅は松江の中枢部と言えるエリアから1.5km以上も離れていることもあって、県庁所在地都市の駅前にしてはさびしい感じもしますが、それでも市内随一の交通拠点として、それなりに都会的な景観を形成しており、令和6年(2024)1月に閉店となりましたが、島根県唯一のデパートがあったのも松江駅前です。また、観光案内所も充実しており、バスのロータリーからは観光向けのループバス「レイクライン」も頻発しています。

4726.松江駅

4727.県内唯一のデパートもあった
●白潟
天神町交差点に戻って再び北上します。松江大橋までの間は、古くからの商業地である白潟地区です。現在はやや廃れてしまった印象ですが、近世に入って松江城が築城され、松江が出雲国の中心になる以前から、宍道湖と大橋川の境を形成してきたこの微高地は流通の拠点として繁栄してきました。松江大橋を目指す南北方向の本町通りには東西方向の小路が多数接続し、それぞれに名前が付いています。「持田屋小路」から「出世小路」にかけての微妙な坂道は白潟の地形を実感でき、人気番組で大物芸能人が喜んだ場所です。

4728.昔からの松江の商業の中心地

4729.微妙に曲げられている

4730.タモリさんも喜んだ微高低差
>拡大画像 白潟小路の案内板
●松江大橋
白潟地区を抜けると、「日本100名橋」に選ばれている松江大橋に至ります。現在、大橋川に架けられている6つの橋の中でもダントツで長い歴史を持っており、初代の橋が架けられたのは松江藩の初代藩主の堀尾吉晴の時代で、実に400年以上の歴史を誇ります。湖をつなぐ水量の多い川への架橋は当時としては大変な難工事で、人柱を捧げたことが伝承としてではなく史実として残されています。現在の橋は17代目で、今も多くのバス路線が通るなど、松江の「橋北」と「橋南」を結ぶその重要性に変わりはありません。

4731.松江大橋

4732.バス路線も多数

4733.シジミ漁の舟も見える
>拡大画像 松江大橋・源助柱の案内板
大橋川を渡った先の大橋北詰交差点を左折すると京店商店街に入ります。旧街道の道筋にして歴史も長い商店街で、津山や米子のアーケード商店街とは違った雰囲気となっており、伝統ある店舗と若い人によると思われる新しい店舗がほどよく混在しています。松江と言えば、京都、金沢と並び称せられる日本の「三大和菓子処」として知られていますが、老舗の和菓子店もこの近辺に多くあります。

4734.大橋北詰交差点を左折

4735.京店商店街

4736.ハートマークを探してみよう
●京橋
京店商店街の途中で北に向きを変え、その先で渡る京橋川は松江城の外堀の役割を果たしていた川です。松江城下のこれらの川は、松江藩が治水と利水と防衛を兼ねて現在の姿に整備したもので、江戸時代の技術でここまでの河川改修を行ったと思うと、ただただ感服するばかりです。その脇に堀川めぐり遊覧船の乗り場もあり、水郷松江らしい雰囲気がますます強まってきます。橋を渡ったすぐ北には「カラコロ美術館」、すぐ西にはオリジナルの小物や伝統の和菓子作り体験ができる「カラコロ工房」があり、ともに古い銀行を再生した近代の名建築です。

4737.堀川めぐりの舟がくぐる

4738.京店カラコロ広場

4739.カラコロ工房
>拡大画像 松江城下絵図
旧街道の道筋としてはさらに北へ直進します。城下町の町割りを残しているだけに道路はあまり広くなく、あえて自動車一台しか通れない一方通行の道にしています。どうせ自動車の通りにくい道なら逆に歩行者にとって快適な道にしようとの意図が読み取れ、車社会にどっぷりと浸かった地方では出色の道づくりと感じます。殿町の交差点は東西方向の道路が鉤型にずれていて、いかにも城下町らしい形状になっています。

4740.歩道の方が広いくらい

4741.殿町の交差点
島根県民会館の前を通り、そして突き当たりには島根県庁があります。松江城のすぐ側にある島根県の行政の中心地は、江戸時代にも出雲国の政治の中心地である松江城の三ノ丸でした。県庁前の交差点を右折すれば、内堀ごしに松江城が見えてきます。姫路から200km以上にわたって歩いてきた出雲街道も、一般的な定義においてはついに終点を迎えます。

4742.県民会館の前

4743.島根県庁

4744.ついに松江城に到着
城内に足を踏み入れると、松江神社や興雲閣などの名所を見ながら城の構造をじっくりと見学できます。近年になって興雲閣のリニューアルも完成し、現存しない大手門も復元に向けての資料探しに懸賞がかけられたりするなど、ただ天守閣を見せるだけでなく、松江でも随一の名所をさらに活用する取り組みも進行中です。

4745.松江神社

4746.興雲閣
●松江城1
松江城は出雲街道の出発点である姫路と同様、全国でも稀なほどの城郭遺構が残る城で、「千鳥城」の異名も有名な天守閣は平成27年(2015)に地元の悲願であった国宝への指定がなされました。松江城は色々な「100選」に選ばれている名城ですが、現存天守は全国に12カ所しかなく、それ以上の価値を持つことは数字の上でも明らかです。

4747.松江城天守閣

4748.石垣も見事

4749.定番と違う角度から
>拡大画像 松江城の案内板
●松江城2
私などが語るまでもありませんが、現存天守が全国に数多い復元天守と明らかに違う点は、その内部で当時の建築技術を間近に見られる点だと言えるでしょう。写真4750は松江城のパワースポットと言われるハート形の木目ですが、それを探したりしながら現存天守の魅力に触れていただきたいと思います。その他にも防御上の細かな工夫を見たり、最上階から市街や宍道湖の眺めを堪能したり、江戸時代の出雲街道の最大の目的地であった松江城は、現在、そして未来の観光ルートとしての出雲街道としても、最大の目的地と言える魅力があります。

4750.ハート形の木目

4751.見事な木造建築

4752.最上階からの眺め
松江城の周囲の通りは観光地としての整備が進められており、堀川めぐり遊覧船ののりばの他、単なる土産物屋というレベルを超えて名産品が販売されている島根ふるさと館や、最新の設備で松江の歴史を学べる松江歴史館などがあります。また、写真4755の「雨粒御伝」のように街歩きをさらに楽しめるような工夫も見られます。いずれも近年になって整備されたものですが、景観にもよく配慮されており、これらの取り組みにもセンスの良さを感じます。

4753.島根ふるさと館

4754.松江歴史館

4755.松江歴史館の雨粒利伝

4756.電線地中化で景観も良好
>拡大画像 雨粒御伝の案内板
●塩見縄手
松江城の北側は塩見縄手と呼ばれ、松並木も見事な堀沿いに江戸時代からの屋敷群がとてもよく残っています。内部が見学可能な武家屋敷や田部美術館、そして小泉八雲(ラフカディオ‐ハーン)の旧居があります。これらも私などが紹介するまでもない名所で、明治時代に英語教師として松江に赴任し、日本文化研究の第一人者となった小泉八雲が松江を気に入り、この場所に居を構えたことも大いに納得できるような街並みです。

4757.松の巨木と武家屋敷

4758.連続する武家屋敷

4759.小泉八雲旧居
>拡大画像 塩見縄手の案内板
>拡大画像 小泉八雲旧居の案内板
<9-4.揖屋駅→出雲郷宿→矢田BS 10-1.京橋/南殿町BS→秋鹿町駅>
  • ●地名、人名等の読み方
    •  長源寺=ちょうげんじ
    •  立原久綱=たちはらひさつな
    •  竪町=たてまち
    •  白潟=しらかた
    •  松江鼕=まつえどう
    •  伊勢宮=いせみや
    •  小路=しょうじ
    •  堀尾吉晴=ほりおよしはる
    •  京店=きょうみせ
    •  興雲閣=こううんかく
    •  千鳥城=ちどりじょう
    •  塩見縄手=しおみなわて
    •  小泉八雲=こいずみやくも
          
  • ●関連ページ
          
  • ●参考資料
    •  樹林舎「定本 島根県の歴史街道」
    •  角川書店「ブラタモリ4 松江 出雲 軽井沢 博多・福岡」
          
  • ●取材日
    •  2015.7.29
    •  2016.7.15/7.16
    •  2017.4.21
    •  2018.2.22
    •  2019.2.27/8.20
    •  2020.2.28
    •  2021.6.29
    •  2022.11.18
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