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9-2.安来駅→安来宿→荒島駅
安来・松江東部エリア この区間の地図
<9-1.吉佐BS→安来駅 9-3.荒島駅→下意東→揖屋駅>
旧街道は現在の安来駅の駅前広場を横切るような道筋で、駅の駐輪場の脇を抜けていく裏道がその名残のように感じられます。

4401.駐輪場の脇が旧街道の道筋
●安来宿1
裏道を抜けて国道に出たところには語臣猪麻呂像があり、その案内板には「出雲国風土記」にも記された安来の地名の由来と伝統の神事の由来が記されていますが、この「月の輪神事」は記録が残り、現在も続いている祭の中では全国最古のものです。なお、この語臣猪麻呂像の周辺が安来宿の本陣となっていた屋敷の跡で、安来御茶屋御殿跡の案内板も設置されています。国道をしばらく西へ進むと、陶芸家の河井寛次郎の生誕地の碑があり、旧街道の道筋は西小路交差点を左折しますが、ここで右折する道は安来港へのメインストリートだった西灘通りです。この界隈が安来の中心地だった場所で、交差点の北西側には昭和初期の和風建築で営業を続ける料亭の山常楼もあります。

4402.語臣猪麻呂の像と本陣跡

4403.河井寛次郎生誕地の碑

4404.西小路交差点を左折
>拡大画像 語臣猪麻呂像の記
>拡大画像 安来御茶屋御殿の案内板
>拡大画像 山常楼の案内板
●安来宿2
西小路交差点を南に入ると、旧天界酒造、そして県指定の有形文化財となっている商家の並河家住宅と、立派な古い建物が多く見られます。その先の突き当たりを右折すると、安来宿の後半は中市場、そして大市場という商店街になります。現在では賑わっているとは言えない状態ですが、やはり原本家住宅などの古い建物が残されており、中でも「やすぎ懐古館一風亭」は明治時代に建てられた商家(旧鎌田商店)の内部が見学でき、市民が使用するイベントスペースともなっています。安来宿は他の宿場町であまり見られないほどの商家が商店街に複数残されていることが特徴で、単なる宿場町ではなく、北前船が寄港する港町として経済的に発展してきたという歴史が感じられます。

4405.並河家住宅

4406.原本家住宅

4407.やすぎ懐古館一風亭
>拡大画像 原本家住宅の案内板
安来の街並みは木戸川にぶつかるまで続いていますが、最後の100m弱は明治町という地名で、明治時代に拡大した市街地と考えられます。旧街道はこの付近で少し南へ曲がっていたようで、木戸川を渡る手前の交差点の少し南に清水寺への道標を兼ねた地蔵が祀られた地蔵堂があり、後述する一里塚も旧国道の一本南にあります。しかし、旧街道の道筋には橋がなく、県道45号の横断にも難があるので、道標地蔵に立ち寄りつつも旧国道を直進した方が歩きやすいでしょう。

4408.旧国道は直進で木戸川を渡る

4409.清水寺を指す道標地蔵
●安来一里塚
県道45号と交差して一本南の道に入れば、安来一里塚があります。これまでいくつも一里塚の跡を見てきましたが、ここは国の史跡に指定されている一里塚で、道の両側に植えなおされた松があり、今なお一里塚の体裁を保っています。案内板の写真にあるように、往時は松がまさに目印と呼ぶにふさわしいほど大きく育っていたようです。

4410.安来一里塚
>拡大画像 安来一里塚の案内板
一里塚の先で伯太川の堤防に上がり、旧国道に戻って安来大橋を渡ります。伯太川に続いて吉田川を渡った先の飯島町では国道との間にスーパーやホームセンター、家電量販店などがあるため、旧国道とは言え交通量が多く、道路の拡幅工事も進められています。

4411.伯太川を渡る

4412.旧国道なのに拡幅工事中
飯島町から今津町にかけて旧国道は一直線に続きます。旧街道は少しは曲がっていたようで、それらしき痕跡はわずかに見られますが、道の姿ではなく、しばらくは旧国道を歩くことになります。先述した郊外型店舗が並ぶ道路と交差した先では少しは古い道らしい雰囲気もありますが、史跡は南にある伊勢神社を案内する道標がひっそりと残されている程度です。

4413.旧国道は一直線に西へ

4414.伊勢神社の道標
写真4415の地点では電柱の陰に隠れてまず気づかない細道が斜め右に分岐しており、小さな神社の前に出るまで、ごく細い路地裏の道として旧街道が生き残っています。この付近は圃場整備が行われていますが、旧国道沿いにある「模範耕地整理」の記念碑は明治44年(1911)のもので、戦後の圃場整備ほどは徹底されていないように感じられます。それが微妙に旧街道が残っている要因となっていると言えるでしょう。

4415.電柱の後ろ!

4416.これが旧街道

4417.神社の前に出てくる

4418.模範耕地整理の碑
神社の脇からは旧街道は道路の姿に戻り、飯梨川の堤防まで旧国道の北を進みます。「道程記」ではこの付近に慈照院という寺が描かれていますが、現在は存在しません。しかし、ここに来て石州瓦の古い民家が目立つようになり、旧街道らしい雰囲気は戻ってきます。

4419.慈照院はなくなっている

4420.堤防に上がる
旧国道の飯梨橋で飯梨川を渡り、堤防を下り終えると赤江小学校と赤江保育園の前で右折し、変わらず旧国道の少し北を通る旧街道の道筋に戻るべく小学校と保育園の間の道に入ります。

4421.飯梨川を渡る

4422.赤江小学校の前で右折
赤江小学校を過ぎれば旧街道の道筋が復活します。微妙に屈曲しながら進んでいく途中には旧赤江村役場の建物を利用した安来市立民俗資料館や地蔵などがあり、ほんの200mほどの間ですが、旧街道の雰囲気を感じられる道が残されています。

4423.この辺りから旧街道が残る

4424.安来市立民俗資料館

4425.なぜ顔が描かれている?

4426.わずかながらも旧街道らしい
>拡大画像 赤江地区の案内板
旧国道に戻って200mほど、山陰本線の赤江踏切の手前にある写真の地点で右折し、またすぐに左折します。そこには旧赤江村高等小学校跡の碑があり、その先から広い田園地帯に入ります。ここを貫く畦道も汐土手で、現在の中海の湖岸線からかなり離れた場所であっても汐土手が築かれていることに驚かされます。汐土手を200mほど歩いて旧国道に復帰しますが、山陰本線のガードは150cmほどの高さなので、頭をぶつけないように注意してください。

4427.赤江踏切の手前で右折

4428.旧赤江村高等小学校跡の碑

4429.赤江の汐土手

4430.山陰本線をくぐる
旧国道に戻ればまもなく田頼川を渡ります。安来宿からは平坦かつ直線的な道を何の苦もなく歩いてきたので意識が薄れがちですが、安来宿からここまでの間に、木戸川、伯太川、吉田川、飯梨川、田頼川と細い川を除外しても5つの川を渡ってきています。「道程記」を見ても伯太川と飯梨川と田頼川には橋がなく、江戸時代の往来にはそれなりの苦労があったことでしょう。

4431.田頼川を渡る
さらに300mほどで広瀬方面へ続く県道180号と交差します。さらにそのすぐ先では北の方向へゴミの捨てられた未舗装の道が見えますが、これは荒島と広瀬を結んでいた一畑電気鉄道広瀬線の廃線敷です。

4432.県道180号と交差

4433.一畑電気鉄道広瀬線の廃線敷
すぐ先の写真4434の地点で鋭角に右折し、少し戻る形で県道180号をくぐっていく道は赤江の汐土手から続いてきた旧街道の道筋で、山陰本線の線路の直前に歳徳神のお堂があります。踏切がないので進めるのはここまでですが、ここで農作業をされていた65歳くらいの女性によれば、この道が旧街道で、線路の向こう側に見える家の付近にはかつて大きな松が植えられており、今でも田頼川の手前まで道は続いているとのことでした。

4434.鋭角に右折してみよう

4435.歳徳神堂
荒島駅に続く街並みの途中、写真4436の地点で斜め左にごく細い道があり、ここでもひっそりと残された路地裏の旧街道を歩けます。いったん自動車の通れる道路になりますが、丘陵にぶつかったところで少し北に行けばその続きに入ることができ、荒島駅のすぐ東にある桜地蔵のところに出てきます。余談ながら、私が訪れたときにはちょうど小学生がこの道で遊んでいて、道が人の暮らしの中に溶け込んでいた時代の光景が見られました。都会でも過疎地でもなく、荒島小学校にも近いこの場所に自動車の通らない道が残されているからこそ見られた光景と言えるでしょう。

4436.斜め左に細道が

4437.家並みの間を縫う旧街道

4438.まだ続きがあります

4439.桜地蔵のお堂まで
荒島駅は現在の国道に背を向けている立地条件もあり、一見すると寂しい駅ですが、中には周辺地区の魅力を発信する掲示物が所狭しと貼られています。この規模の地区にしては珍しいほど充実したパンフレットや、地元の小中学生による荒島史跡探検新聞の入賞作品など色とりどり、まさに市民参加型で歴史による地域おこしを行う先進地と言え、見ているだけでうれしくなります。

4440.荒島駅

4441.駅舎内の掲示物
>拡大画像 荒島地区の案内板
<9-1.吉佐BS→安来駅 9-3.荒島駅→下意東→揖屋駅>
  • ●地名、人名等の読み方
    •  荒島=あらしま
    •  並河家=なびかけ
    •  伯太川=はくたがわ
    •  飯梨川=いいなしがわ
    •  田頼川=たよりがわ
          
  • ●関連ページ       
  • ●参考資料
    •  門脇等玄「旅路はるか −消えゆくものへ−」
    •  島根県教育委員会「島根県歴史の道調査報告書 第一集 山陰道T 広瀬清水街道」
    •  樹林舎「定本 島根県の歴史街道」
          
  • ●取材日
    •  2015.7.4/7.29
    •  2016.7.15
    •  2017.11.28
    •  2018.10.27/10.28
    •  2019.2.27/6.15
    •  2023.5.21/9.3/10.7
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