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禾津から藤森へ
<三坂峠→禾津 藤森→延助>
禾津地区内では旭川に沿って国道313号を進みます。湯原インター以北の国道313号は鳥取県中部地域と米子自動車道の湯原インターを結ぶ地域高規格道路「北条湯原道路」の一角をなす「禾津−下湯原バイパス」として高レベルな整備状況となっています。また、次の集落である三ツ家には久世から大山までの間の大山道沿いで唯一のコンビニもあります。このように近代的に変貌してしまった道路ですが、道沿いの墓地には大日如来もあり、大山道らしさも残されています。

1301.よく整備された国道にコンビニ

1302.大日如来
現在の道路網を見ると、禾津から蒜山方面へ自動車で行くには(米子自動車道を除いて)2つのルートがあります。1つは国道313号で北上した後、国道482号で西進するルートで、もう1つは県道55号で西進した後、県道321号と県道322号で北上するルートで2つのルートが縦長の長方形を作っています。大山道のルートは後者にやや近いものの、長方形の北西と南東を直線的に結び、三角形の一辺のようになっています。これは集落を無視して山陰へ急ぐ米子道とほぼ一致しているのが面白いところです。
三ツ家からはまず旭川支流の鉄山川沿いを西進します。北岸の県道55号か南岸の道か迷うところですが、次の茅森集落の家並みはまず南岸に現れ、昔の道沿いという雰囲気があるので、ここでは南岸を選択し、茅森集落の途中で鉄山川を渡って県道55号に出ます。それにしても、この川の名前はいかにも鉄山地帯の川らしく、実際にこの川の流域は美作国の中でもたたら製鉄が盛んだった地区の一つです。

1303.コンビニのすぐ先を左折

1304.谷の南端を西へ

1305.茅森の集落の家並み

1306.鉄山川を渡る
県道55号を歩くのはごくわずかで、1307の写真の地点ですぐに右折して羽部川沿いを北西へ進んでいくことになります。

1307.ここを右折

1308.羽部川の谷を上る
●羽部川の谷
羽部川沿いの道は県道ですらなく、場所を選ばないと自動車同士のすれ違いもできません。しかし、後述する種地区や藤森地区に行くには、県道55号と県道321号、県道322号を通るよりはるかに近道です。道沿いには多数の石造物が見られ、距離優先の昔の人がよく利用していたことがわかります。現在の道路は川沿いを行きますが、1309の写真の大日如来等は現在の道より5mほど高い位置に見えたので斜面をよじ登って撮ったもの、1310の写真の題目塔は明らかに山道に面したもので、あまり改良もされていないと思われる道であっても、かつての道筋とは少し違っていることが想像できます。道沿いからは意外なほど人家が途切れず、県道55号から分岐して1.8kmほど行って羽部の集落が尽きるまでは穏やかな道のりです。

1309.大日如来等の石造物が山に

1310.山道に面した題目塔

1311.羽部集落へ
羽部集落を過ぎると沿道から人家がなくなり、ホウソ坂と呼ばれる峠道の上り坂が本格化します。最初のうちは人工林の中を行き、たたらの跡こそ見つけられませんでしたが、人工的な山の雰囲気からこの周辺でたたら製鉄が行われていたのではないかと思われます。

1312.人工林の中を進む

1313.ヘアピンカーブも登場
ホウソ坂の峠道は現在では林道となります。概ねこの道がかつての大山道の道筋をなぞっているはずですが、自動車通行可能な道路として改良されてルートが少し変わったのか、沿道には特に史跡が見つかりません。ヘアピンカーブもいくつか見られ、勾配が緩和されているので、特別きつい坂道ではありませんが、羽部から約2kmの間、上り坂が連続します。なお、先述したように近道のルートであることから、地元の住民はこの林道を選ぶこともあるのか、交通量は少しはありますので、交通安全にはご注意ください。

1314.さらに上り続ける

1315.最後のヘアピンカーブ×2
●ホウソ坂
1315の写真の2つのヘアピンカーブで標高を稼ぐと、若干ながら眺望が開け、まもなくホウソ坂の頂上に至ります。ホウソ坂は昭和の大合併前の旧湯原町と旧二川村の境になる標高は約580mの峠で、茅森の県道からの分岐点と比べて250mほど上ってきたことになります。羽部を過ぎてからは史跡らしい史跡がありませんでしたが、ここには大山道の案内看板があり、何もない峠にアクセントを添えています。

1316.ホウソ坂
ホウソ坂を越えると、上ってきた道と同じような雰囲気の道を下っていきます。旧湯原町側と比べると旧二川村側の距離は短く、1km少々で最初の三倉集落に入ります。

1317.上りと同じような下り坂

1318.林道終了と同時に周囲が開ける
三倉の集落内の前半では古い道筋と思われる道が現在の道路の東側にあり、三界萬霊塔やお堂があります。集落の中央付近には大きな石造物がありますが、普通っぽい戒名が刻まれていて、個人の墓のように見えます。旧二川村域ではこのような墓石がいくつも見られます。三倉集落の後半は逆に現在の道の西側に古い道筋と思われる道があり、集落の最後に明治19年(1886年)に建てられた大日如来と大師像があります。

1319.集落東側の道

1320.古道らしき道に面したお堂

1321.個人の墓?

1322.大日如来と大師像
三倉の集落を出て600mほどで、次は野田集落に入り、1323の写真の交差点に至ります。信号もない静かな交差点ですが、飲み物の自動販売機があったりして、2つの県道が出会う交差点だけに、ほんのわずかながらも交通結節点らしさが感じられます。ホウソ坂方向から見て、左が種地区の各集落、および見明戸、美甘方面への県道323号で、右は湯原温泉に至る県道322号です。湯原湖の湖底に沈んだ村々を通る大山道の道筋もあったそうですが、現在の県道322号は湯原湖の南岸を延々と巡るだけで、かつての大山道の道筋とは全く異なっています。ただ、ダム湖の景色に加え、湯原ダムの天端を通る道路だけに、ダム好きの方のドライブルートとしては楽しい道かもしれません。そして大山道の道筋は直進で、県道322号に入って粟谷、藤森方面を目指します。

1323.野田の四つ辻
右(東)の低い位置に桑瀬集落を見ながら北上して粟谷川を渡りますが、県道322号の橋の直下は男滝という滝になっています。本当に橋の下にあるので、自動車で県道を走っているだけでは見ることのできない滝です。男滝の先からは県道にセンターラインもなくローカル県道らしい雰囲気になり、野田の交差点から1kmほどで向立石の集落へと入っていきます。

1324.男滝

1325.向立石の集落へ
●向立石
向立石とその対岸の立石は旧二川村の中央部に位置する集落で、最初に「二川こうふく村」という地域おこしの拠点として活用されている旧二川中学校の立派な木造校舎が目を引きます。さらに200mほど行くと立石コミュニティハウスがあり、大山道の道筋としてはその先を右折しますが、左折すると対岸に旧二川小学校が生まれ変わった「ふるいち二川マンガ館」、直進すると北西にガソリンスタンドの跡や郵便局があります。旧二川村は南に粟谷川、北に藤森川が流れており、二つの川の流域のいくつかの村が合併して誕生したことが村名の由来になっていますが、その中間点にあたる立石集落の周辺に村の機能を集中させたことがわかります。余談ですが、立石コミュニティハウスの先で右折したところには古いながらもちゃんと清掃された公衆便所があり、この付近では極めて貴重なトイレです。

1326.二川こうふく村(旧二川中学校)

1327.旧二川村の中心

1328.非常にありがたい存在
立石から藤森までの間、県道322号はその間にある山を迂回して三角形の2辺を行くようなルートになっていますが、大山道の道筋はその山を越えていき、ここでも古道は直線的なルートを選んでいます。1327の写真の先の交差点を右折すると、いきなりの急坂で、ヘアピンカーブも現れます。しかし、この山越えは距離もわずかで、すぐに中山の天王様という神社のある頂上に至り、中山集落へ下っていきます。

1329.いきなりの急坂

1330.ヘアピンカーブで一気に上る

1331.頂上の中山天王様

1332.中山集落
藤森に到着する寸前には飯山城跡という山城の跡があり、大山道はその入口の前を通過しますが、そこには石造物が多くあります。また、入口には「二川飯山城跡保存会」によって平成26年(2014年)に設置されたばかりの看板があります。近年になって地元有志で史跡を保存・整備しようという動きはここでも見られます。

1333.飯山城跡の入口

1334.石造物も多い
1335の写真の交差点で再度県道322号に合流しますが、西から来た県道が左折、南から来た大山道が直進という形で藤森へ入っていきます。一方、東の道は湯本地区(湯原温泉)と藤森を結び、大山道としても利用されたルートの一つですが、現在は黒杭地区のいくつかの集落を結ぶだけの道となり、そこから湯本までの間は、道沿いにあった小童谷や三世七原という村とともにすべて湯原湖の底に沈んでしまいました。

1335.藤森の交差点

1336.辻のお堂
●藤森
藤森は旧二川村の北の中心というだけでなく、大山道の宿場としても栄えた町です。今は過疎化し寂れているような印象ですが、道沿いに民家が「街」のような形で並んでいるのを見るのは久しぶりです。集落に入ってしばらくはかつての大山道がそのまま現在の県道322号になっているようですが、1338の写真の地点からは県道は集落をバイパスする形になります。大山道の道筋は斜め右に入り、藤森川を渡ります。沿道には天明7年(1787年)に建立された地蔵や、六地蔵、五輪塔などが見られます。

1337.藤森の街並み

1338.斜め右へ

1339.天明7年の大きな地蔵
●藤森の道標地蔵
集落を過ぎると県道322号を横断します。その交差点には文化10年(1813年)に建てられた道標があり、中央には地蔵が彫られています。道標がメインでそこに地蔵が彫られているというのは、この先の大山道でよく見られるスタイルです。「左ハ大せん 右ハくら吉」と案内されており、左のこれから行く藤森川沿いの道が大山道、右の県道は蒜山高原の中央部にある中福田を目指していくことになります。

1340.大山道らしい道標地蔵
<三坂峠→禾津 藤森→延助>
  • ●地名、人名等の読み方
    •  北条=ほうじょう
    •  三ツ家=みつえ
    •  茅部=かやべ
    •  郷原=ごうはら
    •  木地師=きじし
    •  文久=ぶんきゅう
    •  天照大神=あまてらすおおみかみ
    •  高天原=たかまのはら
    •  天明=てんめい
    •  明和=めいわ
    •  天保=てんぽう
          
  • ●関連ページ       
  • ●参考資料
    •  小谷善守「昭和40年代にたどった大山道」
    •  岡山県文化財保護協会「岡山県歴史の道調査報告書第八集 大山道」
          
  • ●取材日
    •  2017.4.20
    •  2018.4.12
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